「自分の子どもだから運動が得意なはず」と思い込んでいた

── お子さんは「行きたくない」って頑張って言えたんですね。ゴリさんはその言葉を受けとめて、すぐに方向転換された。

 

ゴリさん:そうなんです。うちの息子、わが子ながらスゴいですよね(笑)。

 

もうひとつ、小学校に進学してからも反省したことがありました。僕は子どものころから運動が得意で、ずっとサッカー部だったから、息子にもそうなってほしくて、サッカー教室に入れたんですよ。でも、なかなか上達しなくて。ある日、練習をのぞいたら、「お前はゴールを守れ」ってキーパーをやらされていたんです。キーパーに向いているからではなく。それで「もしかして、サッカーやりたくないのか?」と聞いたら、「やりたくない。辞めたい」と言う。それで「わかった。辞めていいよ」と話して、サッカーを辞めたんです。小学2年のころかな。

 

ガレッジセール・ゴリさん
憧れのブルース・リーの銅像の前で

「じゃあ、何がしたい?」と聞いたら、「漫画が好き。絵を描いているのが楽しい」と言って、それからは夢中になって漫画を描いていました。ところが、小5になって急に「友達からバスケがうまいって言われたからやりたい」と言い出して。バスケのクラブに入り、自分からすすんで熱心に練習していました。小6にはエースになって、卒業のころには区大会で優勝したんですよ。もう、親子でわんわん泣きました。

 

でもそのとき、抱きついてきた息子に、「お父さんに褒めてもらいたくて頑張った」と言われて、またもハッとしました。「ああ、結局いろいろ俺が押しつけていたのかもしれない」とあらためて気づかされた瞬間でした。

「お前が幸せなら、自分も幸せだから」

── お子さんが大きく成長された今、何か話をしていますか?

 

ゴリさん:長男は今、大学3年生で、将来どうするかを考えているところなのですが、ゲームが好きみたいで、ゲームやプログラミングの勉強をしています。僕は「お前が幸せで笑ってくれるのなら俺も幸せだから。自分が選んだ道を進んでくれ」と伝えています。

 

だって、自分も2浪してせっかく大学に入学できたのに、大学2年で「お笑いをやる」って大学を辞めて。最初、親には反対されたけど、最終的には自分の決断を許してくれた。そんな親には感謝しているんです。息子には「好きな方向に進んでくれればいいから、とにかくたくさん社会を見たほうがいいよ」と伝えたいです。

 

ガレッジセール・ゴリさん
コロナ禍にはヒゲを伸ばしたというお茶目なゴリさん。自身の部屋での一枚

── お子さんと将来のことを話す時間を定期的に設けたりしますか?

 

ゴリさん:いや、全然(笑)。何かあったときにポツリポツリと言うだけです。いつも言うのは、「みんなが幸せだと思うものだけが幸せじゃなくて、自分が幸せだと思えることが一番幸せだから。これに勝てるものはない」ってこと。

 

実は、僕の父も映画監督を目指していたんですよ。実際は助監督だったんですけど、結局、親父は「才能がない」って監督の道を諦めて、母親と(沖縄の)国際通りでベビー用品店を始めた。そうしたら、それが当たって繁盛して。だから僕は貧乏ではない家庭で、さほど不自由なく育ちました。

 

親父は、「たとえ自分が大切にしていた目標で挫折したとしても、別の道で成功して幸せになるパターンもある」と、身をもって僕に教えてくれたと思っています。だから、息子に対しても「目標を諦めるくらい失敗しても、人生の失敗だと思わなくてもいいよ」って思ってるんです。

 

PROFILE ガレッジセール・ゴリさん

本名・照屋年之(てるや・としゆき)。1972年、沖縄県出身。1995年に相方の川田広樹さんとお笑いコンビ・ガレッジセールを結成。バラエティ番組、ドラマなど、芸人としてだけでなく俳優として、また2009年からは監督した映画が高い評価を得る。2025年年始めには、照屋年之としての監督映画『かなさんどー』が公開予定。プライベートでは2児の父。

 

取材・文/高梨真紀 写真提供/ガレッジセール・ゴリ