屋根裏部屋に住み込んで朝から晩までケーキ作り

── 高校卒業後、調理師専門学校に進まれていますね。調理師学校というと、料理人のイメージがありますが…。

 

安食さん:当時はパティシエではなく、コックになろうと考えていたんです。ただ最初の製菓の授業でシュークリームを作ったとき、焼きたてのシュークリームに感動して。そんなの食べたことないじゃないですか。もう、なんだこれは!と思いましたね。その瞬間、パティシエになる!と、決めました。

 

調理師専門学校は1年制で、シュークリームと出合ったときから早々に就職先はケーキ屋さんにしようと決めていました。でも、職員室に行って「どこかお店を紹介してほしい」と製菓担当の先生にお願いしたら、「イヤだ」と速攻で断られてしまって。先生いわく、「紹介してもみんなすぐ辞めちゃうから紹介したくない」と。でも「先生頼むよ。ぼく、絶対辞めないから!」と粘ったら、先生が「そういえば、お前いつも製菓の授業のとき、一番前の席で聞いていたよな」と、気づいてくれたようです。

 

先生のつてで洋菓子協会から紹介されたのが、練馬の『ら・利す帆ん』でした。同じく洋菓子協会から紹介されて先に入店していたのが、辻口博啓さん(『モンサンクレール』シェフ)。ぼくの後に、神田広達さん(『ロートンヌ』シェフ)が入っています。

 

パティシエ・安食雄二さんが描いたイラスト
安食さんはイラストも得意でクッキー缶用のイラストも自身で描く

── のちのスター・パティシエ3人が同時期に集まったとは!切磋琢磨はありましたか?

 

安食さん:もちろんありました。当時は寮住まいで、朝から晩まで一緒に過ごしていたので。寮といってもお店の屋根裏部屋で、小麦粉なんかが積んである倉庫みたいなスペースです。2段ベッドが3つ並んでいて、そこに6人で寝泊まりしてました。お店は夜10時まで営業していたので、文字通り朝から晩まで。まかないは3食、作業台の上で食べていましたね。店が終わった後も、ぼくら見習いはお菓子作りの練習です。スポンジにバタークリームをサンドして、チョコレートでコーティングして、その上にマジパンを飾って。それをお店に並べて、翌日誰のケーキが先に売れるか競い合うんです。本当に刺激し合う毎日でした。

母に作ったバースデーケーキ「渡すと大泣きされて」

── 工務店の跡取りとして将来を嘱望されていたそうですが、パティシエの道に進んだとき、ご両親はどんな反応を?

 

安食さん:ぼくがきちんと就職したので、親はすごく安心したようです。というのも、小学校、中学、高校とぼくは問題児で、親がしょっちゅう学校に呼び出されていたので。といっても、グレていたわけではないですよ。好奇心旺盛で、「これをやったら怒られるんじゃないか」と考えずにすぐ行動してしまう。学校から帰ると、母親は鏡台の前ですすり泣いているわ、父親には殴られるわで、もう大変でした。

 

「ら・利す帆ん」に入社した年、母の誕生日に初めてバースデーケーキを作りました。見よう見まねでスポンジを焼いて、ナッぺ(ケーキにクリームを塗ること)して、下手な字でクッキーに『お誕生日おめでとう お母さん』って書いて。休日に「バースデーケーキ作ってきたよ!」と持っていったら、箱を開けたとたん、もう大号泣。「うわーん!」って、まるで漫画みたいな泣き方です。

 

パティシエの安食雄二さん
バースデーケーキを作成中の安食さん

── よほどうれしかったのでしょうね。

 

安食さん:心を込めて作ったケーキで、こんなに人を喜ばせることができるんだと、そこで初めて知りました。困らせて泣かせることはあったけど、うれしくても人って涙を流すものなんだと、自分の仕事はこういうことなんだって、気づかされた瞬間でした。そのときの誕生日プレートを母がいまだに取っていて、もう40年近く前のものですけど、ラップに包まれ、実家の冷凍庫に眠っています。

 

それからバースデーケーキにこだわりはじめて、何十年と作り続けてきました。独自のスポンジの理論を確立して、「安食さんのバースデーケーキは間違いない」と言ってもらえるようになった。週末には多いときで200、300台のバースデーケーキが出ます。うちはバースデーケーキ屋なのかな、というくらい(笑)。あの経験はぼくのベース。バースデーケーキを大事にしようという想いがずっと変わらずぼくのなかにある。注文をいただくと、いまもぼくが一枚一枚心を込めて、プレートを書いています。

 

PROFILE 安食雄二さん

あじき・ゆうじ。1967年生まれ、東京都東村山市出身。武蔵野調理師専門学校卒業後、「ら・利す帆ん洋菓子店」入店。「鴫立亭」、横浜ロイヤルパークホテル オープニング製菓主任、「モンサンクレール」オープニングスーシェフを経て、「デフェール」シェフパティシエを務める。1996年グランプリインターナショナル・マンダリンナポレオンコンクール(世界大会)日本人初優勝。2010年、北山田に「SWEETS garden YUJI AJIKI」をオープン。

 

取材・文/小野寺悦子 画像提供/SWEETS garden YUJI AJIKI