女性にとって出産は、心身に大きな負荷がかかるライフイベント。ましてや、外国での出産となれば、言語も慣習も違うし、より大変そう。しかし、オーストラリアで出産した経験を持つ宮村優子さんは、ちょっと違ったカルチャーショックを覚えたといいます。(全4回中の3回)
「生活費がまかなえないなか」第二子を海外で出産
── 宮村さんは2009年にご家族でオーストラリアに移住されたそうですね。移住したのはなぜでしょうか?
宮村さん:いまは離婚していますが、当時の夫はスタントマンの仕事をしていました。オーストラリアにはサーカスのパフォーマンスを学べる大学があって、「仕事の幅を広げるために留学したい」と言われたんです。私も昔から「いつか1年くらい海外で暮らしてみたいな」と思っていたので、2004年に生まれた長女を連れて家族で行くことになりました。最初は1年半くらいで帰国するつもりでしたが、結局、2018年ごろまで住んでいました。その間、私は仕事が入ったら帰国し、オーストラリアと日本を行き来していました。
── 移住を決めた当時、宮村さんは英語を話せたのですか?
宮村さん:ほとんど話せなかったんですよ。「英語を話せない状態でよく移住を決めましたね」とよく驚かれますが、なんとかなると思っていました。最初のころはほぼジェスチャーで乗りきって、生活していくうちに少しずつ必要なことを覚えていった感じです。
── 2011年に第2子が誕生していますが、オーストラリアで出産されたのでしょうか?
宮村さん:そうです。2人目の子を産むかどうかはひと悶着あって。私は子どもが2人欲しくて、どうしても30代のうちに産みたかったんです。でも、夫は当時学生だったから、オーストラリアでは週に20時間しかアルバイトができません。夫の仕事が安定しないなかで第2子は難しいと夫婦ともに考えていて…。家族の生活費も夫の学費も、私が日本の声優の仕事で得た収入でまかなっていたんです。でも、状況はなかなか変わらないし、私もどんどん年齢を重ねる不安もあり、結局2011年に第2子を出産しました。
オーストラリアで出産することに抵抗はそれほどありませんでした。あいかわらず英語はそんなに話せないけれど、出産はすでに経験しているから、なんとかなるだろうと思っていたんです。友だちからは「そうやってなんでも『なんとかなる』と突っ走るのは悪いクセだよ」と、よく叱られますけど(笑)。