2年間の闘病生活を経て、芸能界に復帰した吉井怜さん。やる気に満ちていた矢先、心ない言葉に傷ついたと当時を振り返ります。病気と向き合った人だから言える思いやこの先の人生について聞きました。(全3回中の3回)

当時のことを聞かれると次の日、声が出なくなる

吉井怜さん
現在の吉井さんのパワフルな姿

── お母様がドナーとなり、骨髄移植は無事成功。ようやく長く辛い入院生活が終わりました。けれど、復帰まではしばらく期間が空いていますね。

 

吉井さん:免疫力がかなり落ちていたので、ある程度それが回復するまで待つ必要がありました。退院するとき、医療用のマスクを病院で買って、外に出るときはいつもマスクをするようにしていました。免疫力が落ちていると、ささいなことで合併症を併発したり、ウィルスに感染しやすくなってしまいます。だからいろいろ注意があって、たとえば粉塵が入るので、絶対に工事現場のそばに行ってはいけないと言われていました。家では菌の侵入を防ぐためお風呂は私が一番最初に入らなければいけないし、私のご飯は家族とは別のまな板で作らなければいけません。だから母がすごく大変だったと思います。芸能界復帰は2002年。結局、最初の入院から2年近くかかってしまいました。

 

── 2年ぶりに芸能界に戻った心境は?

 

吉井さん:テレビ復帰はトーク番組でした。「私はもう大丈夫です!」ってアピールしたくて必死でした。けれど、ある方に「そんな大変な思いをして、なんでこの世界に戻ってきたの?」と言われたとき、言葉が出なくなってしまって。あれ、私って芸能界に必要なかったのかなって気持ちになってしまい、ぶわーっと涙が溢れてしばらく止まりませんでした。

 

自覚はしていなかったけれど、大丈夫、大丈夫、ってつねに自分に言い聞かせていたのだと思います。一番しんどかったときのことはあまり思い出せなくて、振り返ろうとするといまだに不安になってしまう自分がいます。そのときのことを聞かれると次の日、声が出なくなってしまうんです。そんなことがこの20年間に何度かありました。それからはムリせず、伝えられることを伝えていこうと考えるようになりました。

 

── 2021年に白血病後の定期検診を「卒業」したとブログで報告されました。

 

吉井さん:先生に「そうか、今年で20年ですね。定期検診はもう必要ないので、卒業しますか」と突然言われて。本当にびっくりしました。移植した後もずっと病院に通い続けて何か問題がないか定期検診を受けてきたので、私自身、年に1回の健康診断のような気持ちでいたし、一生続くと思っていたんです。だから、卒業なんてできるの!?という心境で、めちゃくちゃ嬉しかったですね。家族も一緒になって喜んでくれました。その日(7月11日)は私にとって大切な記念日になりました。