当初は本当の病名を知らされなかった

── グラビア撮影で行った奄美大島で倒れ、病気が発覚したそうですね。

 

吉井さん:ロケの前日に高熱が出て、とりあえず解熱剤だけ持って奄美に行きました。最初は風邪かなとも思ったけれど、貧血がひどくて立っていられないくらい。撮影のときだけ立って、フィルムチェンジの間は座らせてもらったり、周りに助けてもらいながら撮影を続けていた感じです。それでも体調はどんどん悪くなっていくいっぽうで、最終日になると熱いシャワーを浴びていてもぶるぶる震えが止まらず、急きょ現地の病院に行くことになりました。

 

吉井怜さん
収録前にお気に入りの衣裳で笑顔

病院では簡単な検査と点滴を受けました。そこで「東京の病院に渡してください」と、紹介状を書いてもらっています。たぶん白血病の疑いがあると書かれていたのだと思います。私はそれより、点滴を打つと顔がむくむな、嫌だな、なんてことばかり気にしていましたね。何より撮影を飛ばしてしまったことが悔しくて、大泣きしながらしながら家に帰ったのを覚えています。

 

帰宅した日の夜中にまた熱がどんどん上がってきて、汗もすごくて止まらない。次の日起きたら顔がパンパンに膨らんでいて、親がギョッとして。週末でしたけど、慌てて病院にかけこみました。改めていろいろな検査をして、そこで白血病だと判明したようです。ただ私はその時点では再生不良性貧血と言われていて、3か月入院する必要があると聞かされました。

 

── 当初、本当の病名は知らされなかった?

 

吉井さん:まだ私自身が18歳というのもあって、まず医師から親に「本人に言いますか?」と相談があったようです。親は告知云々で悩んでいたと思うけれど、私は仕事のことでもう頭がいっぱいで。3か月も入院するなんてありえない、芸能界に戻れなくなっちゃうと、そればかり考えていました。親はそんな私の気持ちに寄り添ってくれたのでしょう。「いまは病気のことを考える余裕はないだろうから」ということで、告知は先延ばしになりました。入院が決まったとき、母が泣きながら「頑張ろうね」と抱きしめてくれました。でも、私は母が泣いている理由がわからなくて、ただ仕事を休むつらさで母に抱きつき、わんわん泣き続けていました。

 

PROFILE 吉井 怜さん

よしい・れい。1982年生まれ、東京都出身。14歳で芸能界デビュー。グラビアアイドルとして人気を博し、98年TVドラマ『仮面天使ロゼッタ』に主演。2000年に急性骨髄性白血病を発症、02年に復帰。闘病記『神様何するの…』がベストセラーになり、03年フジテレビでドラマ化。現在は女優として映画やドラマ、舞台など幅広く活動中。

 

取材・文/小野寺悦子 写真提供/ホリエージェンシー