10代のころ、自分が大きな病気にかかるなんて想像する人はほとんどいないでしょう。タレント活動が軌道に乗り始めた吉井怜さんは突然、18歳で白血病に襲われます。当時の症状、体に起きていたことを聞きました。(全3回中の1回)

発病する1週間前から「歩くことができなくて」

吉井怜さん
海が大好きだという吉井さん

── 14歳のときにデビューされていますね。小さいころはどんなお子さんだったのでしょう?

 

吉井さん:子どものころはスポーツが好きで、活発なほうだったと思います。すごく目立ちたがり屋で、学級委員長に立候補したこともありました。でも、クラスの子が推薦した子に票が入って、学級委員長には結局なれずじまい。背が低くて背の順は前から二番目でしたけど、いつも一番前で目立ちたいって思ってました(笑)。

 

芸能界にはずっと憧れがありました。山口智子さんが大好きで、女優さんになりたいと思っていたんです。中学校の同級生が「ホリプロタレントスカウトキャラバンというオーディションがあるよ」と教えてくれて、そこに応募したのが芸能界入りのきっかけです。いま振り返ると、書類審査によく通ったなって思います。というのも、当時はかなりぽっちゃりしていて、応募写真も前髪でごまかすようにしてたので(笑)。

 

── デビュー後はアイドルとして人気を博しました。芸能活動は順調だったようですね。

 

吉井さん:私は体型的に向いているということで、まずグラビアからお仕事が始まりました。当時は山田まりやさんや雛形あきこさんなど、先輩方がグラビアで人気を集めていた時代。仕事をするうちに、私も彼女たちのようにグラビアで活躍したい!と思うようになって。いろいろな雑誌に声をかけていただき、憧れだったフジテレビのビジュアルクイーンにも選ばれました。発病までの4年間は本当に忙しくて、テレビドラマの主演も決まり、バラエティにもたくさん出演することができました。“私、すごい売れてる!”なんて思っていましたね(笑)。

 

── そんななか、18歳で急性骨髄性白血病を発症。体調の変化など、何か予兆はありましたか?

 

吉井さん:朝起きると体が鉛みたいに重かったり、外に出て太陽の光を浴びた瞬間に貧血で倒れてしまうようなことがよくあって。当時は実家に住んでいたので、親に車で駅まで送ってもらって、そこから電車に乗って現場に向かったことがありました。ただ、仕事は一度も休みませんでした。貧血は続いていたけれど、ダイエットをしていたから、そのせいかなと思っていたんです。もしかしたら気力で乗り越えていたのかもしれません。

 

発病する1週間前にCMの撮影をしています。そのときはもう貧血がひどくて、歩くことができない状態でした。控室から台車に乗せてもらってスタジオに移動して、何とか撮影だけはこなしました。CMはたくさんの人が関わるから、やっぱりキャンセルはできなくて。それでも周りにかなり心配をかけていたと思います。