出産という新たな命が芽吹くときに知った、自分へのステージ4のがん宣告。生まれる命と死に向かう恐怖に立ち向かった経験をもつ海野優子さんに話を聞きました。(全3回中の2回)

出産と同時にがんが発覚「絶望の中で…」

海野優子さんとご家族
海野優子さんとご家族

── 34歳のときに、出産と同時にがんが発覚したそうですね。当時の状況を教えていただけますか?

 

海野さん:妊娠が判明した当時は、メルカリに転職してまだ間もない時期でした。“産んだらすぐ帰ってきます!”と宣言し、産休に入ったのですが、その前後から、どんどん足腰が痛くなり、歩くことすらできなくなってしまったんです。起きていても、横になってもつらい。あまりの痛みに夜も眠れないほどでした。お医者さんには、妊娠による骨盤への負担により、ヘルニアを併発しているかもしれないと言われ、そういうこともあるのかなと思っていました。ただ、妊娠中なので、レントゲンが撮れず、痛み止めも打てない。結局、原因がわからないまま、出産を迎えました。

 

── 大変な妊婦生活だったのですね。移動に車いすや松葉づえを使うほどだったとか。

 

海野さん:そうでしたね。出産では分娩台に上がれる状態ではなかったので、予定していた無痛分娩をやめて、帝王切開で産みました。その際に「左腹部に腫瘍のようなものがあったので詳しく調べたほうがいい」と言われて。でも、“取れば済むだろう”と、さほど深刻に受け止めていなかったんです。

 

ところが、検査の結果、告げられたのは悪性腫瘍。しかも、どこからがんが発症したのか特定できない「原発不明の後腹膜悪性腫瘍がん」で足の痛みは、がん細胞による神経圧迫が原因でした。希少ながんなので、効果的な治療法もよくわからない。しかも、すでに背骨に浸潤していて、手術で取ることができず、手の施しようがない状態。ステージ4相当の末期がんだと宣告され、頭が真っ白になりました。

 

生まれた病院にて娘さんと。「お母さんなのに、身近でお世話ができないことがつらかった」

── 本来なら、出産で幸せの絶頂のはずが、がんの宣告とは…。それまで、足腰の痛み以外に、体に異変はあったのでしょうか?

 

海野さん:いえ、足腰痛み以外は、どこも変わったところはなかったんです。がんを宣告されたときは、“私はこの子の未来を見ることができないんだ”と絶望感でいっぱい。4年前に父をがんで亡くしていたので、その怖さも知っていました。産後は、弱い鎮痛剤で体をなんとかごまかしながら授乳をしていたのですが、だんだん痛みがひどくなって耐えきれなくなり、1か月で断念。やはり授乳というのは、お母さんにしかできない初めてのイベントですし、子どもとの絆が感じられる特別な時間ですから、なかなか諦めることができなかったんです。

 

そんな私の背中を押してくれたのは、夫でした。がんに関する文献を読み漁り、最新治療を調べ上げて、“少しでも生きられる可能性があるなら、やれることは全部やろう”と励ましてくれました。お医者さんからも、“きちんと鎮痛剤を使って痛みをやわらげ、気持ち的に負けないようにすることも、がんと闘うには大事なことだから”と言われ、治療に向き合うことを決意しました。その後は、抗がん剤、放射線治療、最新の免疫治療と、さまざまな治療を試みました。