おニャン子クラブのメンバーを卒業し、1997年に女の子を出産した内海和子さん。小学校から私立の一貫校に通わせてきた愛娘のゆりあんぬさんは、現在はアイドルとして活躍していますが、そんなひとり娘とはたびたびバトルが勃発し── 。(全5回中の2回)
自分が主役の人生だったけど、出産後は子どもが主役の人生に
── お子さんが生まれ、ご自身のなかで何か変わったことはありましたか?
内海さん:それまでは全部自分が主役の人生でしたけど、出産後の主役は子どもになりました。「子育てで娘をプロデュースしていくのはおもしろい」という思いがあり、仕事をセーブして娘のために生きていましたね。
おニャン子クラブのメンバーで親友の立見里歌さんが受験に精通していたこともあり、アドバイスをもらって娘との受験に全力を注ぎました。娘を私立の一貫校に入れるというのは最初から決めていたんです。いわゆる世間一般に言われるような「いい学校」や「いい友達」を選んであげるのが親の仕事だと思っていた私は必死でした。受験を通して“母としての内海和子”の姿を客観的に見られた気がしましたね。
── ご自身が赤ちゃんのころから芸能界にいらしたことで、お子さんも芸能界に、という思いはありましたか?
内海さん:「子どもを芸能界に」という気持ちはいっさいなかったです。むしろ「娘には学校を楽しんでもらいたい」「子ども時代を子どもらしく過ごしてほしい」という思いがありました。私が幼いころは芸能活動のため毎日レッスンやお仕事で、全然学校に行けなかったんです。幼いころからずっと大人の世界にいたので、同年代のお友達と遊んだことがなくて。ケガをしたらドラマで画が繋がらないから、思いっきり公園で遊ぶことができず、砂場もブランコもジャングルジムも禁じられていました。
なので、理想通り、娘が受験を経て小学校に入学してからはいいママ友にもめぐりあえましたし、子どももずっと同じお友達と過ごせて、いい環境で親子ともども楽しく日々を過ごしてきました。