テレビ番組「夕やけニャンニャン」に登場するおニャン子クラブのメンバーとして一世を風靡した内海和子さん。芸能人のプライバシーがあってなかった時代、あまりの人気ぶりに、ベランダでファンが寝ていたこともあったそうで ── 。(全5回中の1回)

自分で初めて決めた「おニャン子クラブ入会」

子役時代の内海さん
子役時代の内海さん

── 内海さんと言えばおニャン子クラブでご活躍されていたことが有名ですが、実はそれ以前に子役としてのキャリアがおありとのこと。

 

内海さん:そうなんです。母によると、赤ちゃんの頃、新宿の伊勢丹でベビーカーに乗っているときに「赤ちゃんモデルをしてみないか?」とスカウトされたのがきっかけだそうです。私がおむつを履いて仁王立ちしている、当時の紙おむつの新聞広告が残っています(笑)。

 

モデルから始まり、子役として時代劇で森繁久彌さんと共演させていただいたり、山田五十鈴先生のご指名で帝劇でお芝居をやらせていただいたり。江利チエミさんが新宿コマ劇場でやっていらした「サザエさん」のワカメ役をやらせていただいたり。大御所の方たちとお仕事させてもらっていました。当時を知る人は今でも私のことを「ワカメちゃん」と呼びます。

 

── おニャン子クラブに入られたのはどのようなきっかけだったのですか?

 

内海さん:夕やけニャンニャンの「アイドルを探せ」というコーナーでオーディションがあることを知って、母に家の前で写真を撮ってもらい送ったら、あれよあれよと進み、おニャン子クラブに入ることになりました。それまでの芸歴はすべて人が決めてやって来たことだったんですね。でも「自分は何をやりたいのか」を考え始めた時期で、これは自分で初めて決めたことでした。

 

実は当時、歌のレッスンで通っていた平尾昌晃歌謡教室で私の歌手デビューの話があったらしく「歌唱力もあるし、ここでデビューさせたかったんだよ」と明かされて、先生たちに謝りに行ったという裏話があります。先生は「自分で決めたことだから頑張りなさい」と背中を押してくれました。今思うとそちらの道に進んでいたらまったく違う人生になっただろうなと思いますね。

 

── おニャン子クラブという、ご自身で選んだ芸能の道が改めて始まり、生活も変わりましたか?

 

内海さん:実は私、おニャン子クラブに入ったときは大学生で、これから忙しくなるだとうと思って、デビューが決まってすぐに大学を辞めちゃったんです。そしたらめちゃくちゃスタッフに怒られました。当時、おニャン子クラブは学業優先で、学校を辞めるなんて絶対あり得ないことだったんです。フジテレビのディレクターに「お前は何を考えているんだ!」って親も呼ばれて大問題に。それで「もう一回どこかに入れ」と言われて、急遽、短大に入り直しました。

 

夕やけニャンニャンの出演は時給だったので、アルバイトのような感覚でしたね。自分の通帳にギャラが入るという経験が初めてで、「こんなにいただけるの?」という思いで、最初は嬉しさと驚きが入り混じっていました。同時に「ちゃんとやらないといけない!」という、プロとしての自覚も持ったように思います。