18年間の現役生活の最後を、幼少期を過ごした町田の地で迎えた元サッカー選手の太田宏介さん。少年時代は両親の離婚で古びたアパートへ引っ越しを余儀なくされ、苦しい生活を送ったと言います。(全2回中の2回)

「1日でも早くここから脱出を」と兄弟で誓った

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── 現役選手ラストシーズンを過ごした地元町田での幼少時代の思い出は?

 

太田さん:両親と兄の4人家族でしたが、幼い頃から父がいないことが多くて。母と3人で生活することが普通で、子どもながらに「ほかの家庭とは違うんだな」と理解していました。ぼくが中学のときに両親が離婚することになり、当時住んでいた家を出て、古びたアパートへ引っ越ししたんです。そのときに兄と母と3人で「1日でも早くここから脱出しよう」と。ぼくはサッカー選手になり、兄は大学を卒業して起業。ふたりとも成功して母親に親孝行する、幸せにするんだと、ぼくも兄も心に固く誓っていました。

 

── 両親が離婚して大変な生活を送ってきたとのことですが、実際どんな暮らしぶりだったのでしょうか。

 

太田さん:周りの家庭とくらべてシンプルに「お金がないのかな」というのは子どもながらにすごく感じていましたし、いろいろなところで差は感じていました。ただ、小さい頃はたとえば母親や父親がいくら稼いでいて、光熱費がいくらで、生活するにはどれぐらいかかるとか、リアルなところまではわからないから。「なんかうち貧乏だな」と思ってはいても、貧乏は貧乏なりに楽しく、能天気に過ごしていたんで、苦しいとは思わなかったですね。

 

幼少期に撮影した6歳年上の兄・大哉さんと太田宏介さん

── 幼くてまだ事情がわからなかったとはいえポジティブですね。

 

太田さん:もともと底抜けに明るいし、クラスでもチームでもムードメーカータイプ。それはぼくにとってはプラス要素だったと思うし、これからの人生でもそれは必ず生きてくる。常に笑って楽しく過ごしていけたらいい。

 

── とはいえちょうど思春期。非行に走ることはなかったですか?

 

太田さん:いえ。反抗期すらなかったんですよ。サッカーを辞めたくなったことはありましたけど、そこで辞めてしまったり、人生を踏み外してしまったら一番ダメージがあるのは母親だということを小さいながらにも理解していたので。自分の中にある芯はまったくぶれませんでした。