80年代後半に人気を博したアイドルグループ・CoCoのメンバーとして活躍した宮前真樹さん。実は当時、事務所から「可愛いアイドル禁止令」(?)が出ており、人知れず悩んだ時期があったそうです。(全3回中の1回)

聖子ちゃんに憧れアイドルになるも「ボーイッシュ」担当に

デビュー当時の宮前真樹さん
デビュー当時の宮前さん

── 宮前さんは16歳のとき、自分の意思で『乙女塾』のオーディションを受けたそうですね。

 

宮前さん:はい。松田聖子さんに憧れていてアイドルになりたかったんです。歌番組でご本人に会えたときは感激しました。自分たちにもファンができて、親衛隊がハッピに名前を背負ってくれたり、ハチマキに名前を入れてコールしてくれたときも嬉しかったですね。たぶんそういう文化が残っていた最後の時代だと思います。最初のころは何もかも新鮮で感動していましたが、ファンの人が抱いている私のイメージと実際の性格にけっこうズレがあって、そういう意味で精神的につらいときがありました。

 

── ショートカットの元気で明るい女の子というイメージでした。

 

宮前さん:実際は、子どものころから人見知りで口数の少ないタイプなんです。でも、自分に与えられたキャラクターは、ショートカットのボーイッシュで元気な女の子。それをどういうふうに表現したらいいのかわからなくて…。ボーイッシュなイメージを壊さないように頑張っていたのですが、だんだん重くなってしまって。

 

やっぱり「かわいく見られたい、髪の毛を伸ばしたい」と思ってしまうんです。CoCoの衣装のイメージカラーがピンクで、ふわふわして可愛い衣装が多かったのもあったと思います。他のみんなは髪が長いから似合うけれど、私だけ運動部みたいなショートカットなので、可愛い衣装がどうにも似合わない。カラーリングもしちゃいけなくて。そういうことにも子ども心に傷ついていました。

 

かわいくなりたいし、かわいく見られたい。でも事務所の人に「そういうキャラクターは求めてないんだよ」と説明されて…。あきらめて髪を切るんですが、少し伸びてきたのをそのままにしていたら、撮影の1時間前に私だけ先に呼ばれ、現場で髪を切られて。その繰り返しでした。これでいいんだと思えるまでけっこう時間がかかった気がします。アイドルに憧れていたぶん、なりたいアイドルと違うところにいるのがつらかったですね。

 

── でも、しっかりと求められるものをこなしていましたよね。

 

宮前さん:そうだったかも。番組の台本でも、CoCoのなかで最初に発言する役割になってましたから。自分とはまったく違うキャラクターをもらって演じ続けているうちに、つらかった半面、コンサートのMCでも「私、行きます!」って積極的に動く習慣が身につきました。周りが“明るくてよくしゃべる子”という目で見ていることで、表向きの性格はどんどんそっちに引っ張られていって。それは結果的には良かったと思っています。