「谷でも金」を達成したときに思ったこと

谷亮子

── その後、結婚後初のオリンピックとなるアテネオリンピック(2004)では、公言通り「谷でも金」を達成。世界が注目するなかで「谷亮子」としての金メダル獲得はどんな気持ちでしたか?

 

谷さん:皆さんの応援がすごく力になりましたし、エントリーの名前が「田村」から「谷」、「RYOKO TAMURA JAPAN」ではなく「RYOKO TANI JAPAN」と名前を呼ばれたときに、本当に結婚したんだ!って思いましたね。「田村で金、谷でも金」を実現するのは非常に長い道のりでしたが、こうしたチャレンジをできることがなかなかないことなので、前向きに取り組めたと思います。あと、結婚後のアテネオリンピックでは、すごく伸び伸びと試合ができたんですよ。

 

── オリンピックで伸び伸びと…?

 

谷さん:私、最高にいい試合ができたのがアテネオリンピックなんです。決勝戦はフランスのジョシネ選手という、何度も世界の舞台で戦っている選手が相手でした。背負い投げをかけようと思うとバレてしまうのですが、体が勝手に反応して、本能で空中ですくい投げに技が変わっているんです。そこで一本が決まったのですが、今まで人生で一回もやったことがない技がオリンピックで出せました。

 

── 結婚したことが力になった。

 

谷さん:結婚して弱くなったんじゃなくて、結婚してさらに強くなったと感じられたオリンピックでした。

 

PROFILE 谷亮子さん

たに・りょうこ。1975年生まれ福岡県福岡市出身。 全日本体重別選手権大会優勝14回 、 福岡国際女子柔道選手権大会優勝12回 、 世界柔道選手権大会優勝7回(2年に1度開催) 、五輪5大会連続メダリスト 。2003年に谷佳知さんと結婚して2児の母。

 

取材・文/松永怜 撮影/北村史成