谷亮子さんの代名詞、漫画のキャラクターYAWARAちゃんと同じボブカット。実は多忙な谷さんのために、大学生までお母さんが切っていたそう。五輪5大会連続メダルリストの偉業を成し遂げた谷さんの原点に迫ります。(全5回中の2回)
小学4年生の試合前日に熱を出し…
── 谷さんが柔道を始めたのが小学2年生、7歳のとき。アスリートになる方のご両親は、子どもが幼いうちから将来の活躍を目指して熱心に取り組む方も多いですが、谷さんのお母さんはいかがでしたか?
谷さん:うちの母は全然。むしろ、最初は私が柔道をすることを心配していました。4つ上の兄が先に柔道をやっていたので「私もやってみたい!」と言いましたが、はじめは「ダメダメ!」って。体がとても小さかったですし、ちょうど腕を骨折してしまった子がいまして、違う競技がいろいろあるからと難色を示されたんです。それでも私がやりたいとずっと言い続けていたので、「じゃあ、やってみたらいいね」ということでスタートしました。
道場では柔道をしている女の子は少なくて、練習相手は体格のいい男の子でした。また、道場に入ってから知ったのですが、その道場は365日中363日、正月以外ひたすら練習して全国大会で優勝するようなところで、練習もかなりハード。母が「痛くない?すぐに辞めてもいいからね」と心配していましたが、元来の負けず嫌いもあって、ひたすら練習に励みました。
── 試合にも次第に出るようになったそうですが、小学4年生のとき、試合前日に熱が出たことがあったとか。
谷さん:大きな大会の選手に選ばれていましたが、前日に熱を出してしまって、確か39度くらいあったのかな。母が道場の先生に電話をして「明日は熱で出られないかもしれません」と伝えたんです。団体戦のメンバー5人に選ばれていたので、迷惑をかけてしまうから。先生も「ムリしないでいいよ」と言ってくれましたが、私はそのやりとりを聞いて、母に「もう一回電話して。絶対に熱を下げるからって先生に言っておいて!」とお願いしたんです。その晩は必死に汗をかいて熱を下げて…。
翌日、試合会場に行ったら先生が「本当に来たのか…!」とかなり驚いていましたが、結局その大会で優勝したんですよ。とても大事な試合だったので今でもよく覚えていますね。