桂由美さんの個人マネージャーを務めた山本由美子さん。トレードマークのターバン誕生秘話から、90歳を過ぎても変化を恐れず精力的に活動した桂さんの生き方を伺います。(全4回中の4回)
ターバンと言えば、桂由美かミーシャか
── 桂由美さんのトレードマークともいえるのが、ファッショナブルな「ターバン」でした。
山本さん:あれは、ターバン風の“帽子”なんですよ。ですから、巻くのではなく、被るタイプですね。全部で150個ほど持っていて、すべてオーダーメイド。自宅には、ターバンコレクションがずらりと並んでいて、その日の衣装のイメージに合わせて選ぶのが、本人のこだわりでした。
── 普段からターバンを着用していらしたのでしょうか?
山本さん:たとえ少しだけでも誰かに会ったり、人前に出る時は、必ずターバンを着用していましたね。きちんとした衣装とターバンで、“桂由美”が完成するという考え方です。ですから、どうでもいいような普段着の時に「このあと仕事の担当者と打ち合わせを入れてもいいですか?」と聞くと「普段着だから人とは会わない」、というくらい徹底してイメージを守ることを大切にしていました。
── ターバンをファッションに取り入れるという桂さんの独自スタイルは、どんなふうにして生まれたのでしょう?
山本さん:お母様が急死されたとき、バタバタでヘアスタイルに時間を間がなく、お母様の帽子をかぶっていたようですが、自分の頭の形にしっくりいかず。そこで帽子デザイナーの平田暁夫先生に制作を依頼し始めたと聞いています。ドレスに合わせて150個作ってもらったようです。
おかげで、桂由美=ターバンというイメージが浸透し、たくさんの方に覚えていただくことができました。マツコさんに言わせると、“ターバンと言えば、桂由美かミーシャか”というくらい(笑)。ただ、40代の頃の写真を見ると、まだターバン姿ではなく、おかっぱだったりします。
── おかっぱだと随分印象が変わりそうですね。
山本さん:ヘアスタイルについては、亡くなったご主人のアドバイスがきっかけだったと聞いています。11歳年上のご主人が黒柳徹子さんのファンで、「黒柳さんのように、自分らしいスタイルを作ってはどうか」といったアドバイスをしてくれたとよく話していました。先生はとにかく旦那さんをすごく愛していらしたので、その言葉をずっと大切にされていたのでしょうね。
そもそもターバンを被り始めたのは、お母さまが急死されたことが発端でした。髪をセットする時間がなく、遺品の帽子をかぶったものの、まったく自分の頭にフィットしなかったらしいんですね。その後、当時の昭和天皇や皇后の帽子のデザインをされていた帽子デザイナーの平田暁夫さんに相談し、桂さんが直接ターバンの絵を描いて平田さんに見せたところ、「いいね。あなたは顔の幅が広いから、両サイドにパッドを入れて膨らませましょう」ということになって、オリジナルのターバンが生まれたのだと聞きました。