祖母は人工透析になり、祖父は高齢者うつに…。胸騒ぎがして祖父の部屋に向かうと、果物ナイフを突きつける姿が…。いま思い出すだけでも震えると話す高橋里華さん。芸能界を引退後、新婚生活を楽しもうとしていた矢先、祖父母の介護が始まりました。(全4回中の2回)
新婚早々、祖母の介護で週に5日は実家へ
── 33歳で結婚された直後、おばあさまが倒れ、介護が始まったと伺いました。
高橋さん:結婚してすぐ、祖母が糖尿病による低血糖で倒れ、救急車で運ばれたんです。その後、無事退院できたものの、誰かが祖母の身の回りのサポートをしなければならなくなってしまいました。
当時、母は再婚、妹も結婚し、ふたりとも仕事と子育てで忙しくて。小さなころ、忙しい母に代わって私と妹の世話をしてくれたのは祖母で、高校生のときに学業と仕事の両立をサポートしてくれたのも祖母でした。その恩を思うと、新婚早々、夫には申し訳ないけど「何としてでも私が介護をしなきゃ」と思いました。
── 結婚生活と介護は、どのように両立していましたか?
高橋さん:祖母は、人工透析や食事管理が必要だったので週5日、実家に通って介護していました。夫には「申し訳ないな…」と思いながら、おかずを3~4日分作り置きしていましたね。
毎日、病院から帰ったら食事を作って、洗濯や掃除をして、薬を準備して…そうこうしているうちに、あっという間に1日が終わっていくんです。自宅と実家を行き来するのが大変で、泊まりがけで介護する日もありました。夫は「自分のことは自分でできるから、おばあちゃんの介護に専念してあげて」と、理解を示してくれて、支えになってくれました。
── 当時、高橋さんはCMの仕事を続けていましたが、仕事と介護の両立はどうされていましたか?
高橋さん:介護が始まるとき「私が介護しなきゃ」と思う反面、「いま現場から離れたら、仕事が途絶えてしまうかも」と不安になりました。でも、夫が「いままで仕事を続けてこられたんだから、里華ちゃんなら大丈夫!」と励ましてくれて、不思議と「きっと何とかなる!」と思えたんです。
振り返ると、介護で仕事をセーブしたものの、長女の出産直前まで年間13~14本のCMに出演させていただきました。本当に恵まれていたなと、感謝の気持ちでいっぱいです。