「ひとりぼっちになってしまう」祖父が高齢者うつに…

── おばあさまの介護で、印象的だったできごとはありますか?

 

高橋さん:祖母が倒れた後、祖父がひどく落ち込んでしまって。祖母よりも祖父のほうが気がかりな状態でした。じつは、祖母は祖父とは再婚だったので、母や私、妹とは血縁がなかったんです。祖父は、祖母に万が一のことがあったら、「ひとりぼっちになってしまう」と不安を感じていたようです。

 

祖父の気持ちを察知して、「私がいるから大丈夫だよ」と、毎日声をかけていたのですが、とうとう祖父は「高齢者うつ(病)」になってしまいました。強い不安は排尿障害の症状として表れ、処方された薬を飲んでも、自力でうまく排尿できなくなったんです。

 

祖母が入院中だったある夜、祖父と実家にいたのですが、午前2時ころ、何だか胸騒ぎがして目が覚めて。祖父の部屋に様子を見にいくと、暗がりの中、祖父が果物ナイフを首に突きつけている姿が目に飛び込んできました。

 

── えっ…?そこから高橋さんは、どうされたのですか?

 

高橋さん:とにかく止めなければと思い、「そんなことしたら、おばあちゃんは喜ばないし、私も悲しいよ?」と、優しく声をかけながら、ゆっくり祖父に近づきました。そして、「そばにいるから、大丈夫だよ」「それ(果物ナイフ)、私にちょうだい?」と、震えながら祖父に手を伸ばしました。

 

すると、祖父は果物ナイフを片手に、ゆっくりと近づいてきて。私は怖くて動けなくなり、「このまま、道連れにされてしまう…!」と思った瞬間、祖父は私の手にそっと果物ナイフを渡してくれました。

 

── お話を伺っただけで、恐怖で体が硬直しました。その後、おじいさまはどんな様子だったのでしょう。

 

高橋さん:私も思い出すだけで、いまでも体が震えます。とりあえず部屋の明かりをつけて、「何でこんなことになっちゃったの?」と聞くと、祖父は「ひとりぼっちになってしまう」「トイレができず、迷惑をかけてつらい」と、ぽつりぽつり、胸のうちを明かしてくれました。

 

おやつを一緒に食べる義父と子どもたち

取り除ける苦痛は、いますぐ取り除いてあげようと思った私は、そのまま祖父を病院に連れて行きました。管をつける処置を受けると排尿でき、帰りの車で祖父は「本当にすまない」「これからはもうしない」と言ってくれました。「大丈夫だよ、何があっても一緒にいるからね」と話しながら、ふたりで家に帰ったのを覚えています。

 

その後、祖父はあっという間に悪化してしまい、旅立ちました。あの夜、私は祖父を引き留めることができましたが、衝動的に道連れにされてしまうケースもあるだろうなと思います。

後悔しないようにと思っても「介護に理想はない」

── 高橋さんのブログには「祖父母の介護を通して、大きな後悔と引き換えに、さまざまな経験を得た」と書かれていますが、いま振り返って、どんな後悔がありますか。

 

高橋さん:介護が始まった当初は知識がなく、「いまなら、こうしてあげられたのに」という後悔がたくさんあります。たとえば、祖母は亡くなる半年前に糖尿病で右膝下を切断したのですが、「私にもっと知識があれば、防げたかもしれない」と、悔いています。

 

── 後悔のない介護は、実現可能なのでしょうか…。高橋さんが考える理想の介護は、どのような介護ですか?

 

高橋さん:理想は介護中も家族みんなが、何事もなく笑顔で毎日を過ごせる状態が続くことですが、うまくいかないのが現実ですね。

 

病状が急変することもあれば、新たに病気が見つかることもあります。認知症の場合は、昼夜が逆転して、人柄さえ変わってしまうことも。介護される人の体調に合わせて、ベストな対応を繰り返す生活が続くなか、介護する側の体調や気持ちにも当然、波があってすごくつらいときも、悲しくなるときもあります。

 

だから、はっきり言って、介護に理想はないんじゃないかな。介護生活に入った段階で、病気が完治して、自力で何でもできる日が来ることはありません。徐々に悪化する毎日を受け止めながら、毎日進んでいくしかない。それが介護の現実ですね。

 

PROFILE 高橋里華さん

たかはし・りか。1972年、埼玉県生まれ。15歳で国民的美少女コンテストに出場し、入賞。芸能界デビューを果たす。1992年度フジテレビビジュアルクイーン。2006年に結婚すると同時に祖父母の介護を開始、その後義父母との同居、介護を続ける。2020年にYouTubeチャンネルを開設し、2021年には『じいじ、最期まで看るからね』(CCCメディアハウス)を出版。二児の母。

 

取材・文/笠井ゆかり 画像提供/高橋里華