ぬか喜びが多すぎて…
── 42歳から不妊治療を始めて、何年くらい病院に通っていたのでしょうか?
アン ミカさん:4年くらいです。ただ最後の方、45歳の頃に皮膚に小さいおできができてしまって。不妊治療をいったんストップして、おできを取るために放射線治療をしなくてはならなくなったんです。その処置として放射線を浴びなきゃいけなくなったんです。放射線が卵子に影響してしまうので、その間は卵子を取るのは辞めたほうがいいと言われました。放射線を浴びてから今までの精神的ストレスも大きかったのか。ピタッと生理も止まってしまって。その年齢で生理が止まるなんてまったく思わなかったし、それまでずっと順調で生理が乱れたこともなかったんですけど。
放射線を浴びる前にも何度か流産を繰り返していて、ぬか喜びが多すぎて心が疲れました。旦那さんに一回「妊娠した」って報告してからダメになって、2回目にまた旦那さんに「妊娠した」って報告したときに旦那さんが大喜びして、家も引っ越すと言い出して、家を探し出して大変だったんです。旦那さんの80歳過ぎのご両親にも報告してしまって、その後ダメになったときの旦那さんのショックが大きすぎて、それ以降は旦那さんに言えなくなりました。
その後も何回か流産を繰り返して、自分が不育症だと言うことが途中でわかりました。
仕事もちょっとだけ控えてフル回転ではなくした時期もあったんですけど、最終的には放射線が決定打に。旦那さんと話し合いをしたら、旦那さんも見てられないと。今まで一緒に苦しんできたからもういいよねって。代理出産を考えていろいろ動いたこともありましたけど、もう辞めようという結論になりました。46歳の時でした。
── 現在51歳になるアン ミカさんですが、当時を振り返ってどう思いますか?
アン ミカさん:自分ができることは全部やったし後悔はないです。旦那さんともちゃんと話合えたし、どちらかが泣いてまだ頑張ろうとかもなかったので、解放されたような感じすらありました。
それから5年くらい経ちました。今も旦那さんと過ごす時間は変わらず幸せですし、自分の兄弟や親戚に可愛い子どもたちがたくさんいるので、その子どもたちを見るだけで可愛くて幸せな気持ちになります。当初、自分が望んでいた方向とは違う道を歩んでいますが、あの時も今も同じように幸せに日々過ごせています!その時、その時、自分にとっての最善の選択をして、その選択の責任をとっていくのが人生です。今振り返っても自分らしい選択をしてきたと思い、今がとても満ち足りています。
PROFILE アン ミカさん
1972年韓国出身、大阪育ち。1993年パリコレ初参加後、モデル業以外でも、テレビ・ドラマ・TVCM出演など幅広く活躍。「漢方養生指導士」「日本化粧品検定1級」などの多数の資格を活かし、化粧品、洋服、ジュエリーなどをプロデュース。自身初、絵本の翻訳を担当した『スパゲッティになりたいラーメン じぶんをすきになるえほん』(KADOKAWA)が好評発売中。
取材・文/松永怜 写真提供/アン ミカ