40歳で結婚したアン ミカさん。子どもの頃から子どもは欲しかったと語るアン ミカさんが、どのように夫と子どもについて話し合い、不妊治療と向き合っていたのか(全5回中の5回)。
うちの子どももきっと可愛いよね
── 38歳で旦那さんと知り合って40歳で結婚されましたが、子どもについてどのように考えていましたか?
アン ミカさん:私は幼い頃から子どもは絶対欲しかった。小学生のときの文集に「将来お母さんになる」って書くくらい憧れていたし、親戚の子どもや通っていた教会の子どもも見ていて、とにかく子どもが好きで、子どもがいない人生は考えられなかったんです。
ただ、旦那さんは結婚する前から「僕は子どもはいらないんだ」と言っていて、「僕自身が子どもみたいな感じだから、子どもには好かれるけど自分が子どもを持つ気はない。それでも結婚してもらえますか?」とプロポーズされました。結婚したら変わるんだろうと期待して結婚しましたが、そのまま2年が経ちました。
── 40歳から42歳になって。
アン ミカさん:結婚したらいつか自然にできるだろうと思ったし、私の家系は子どもができやすい家系だったので、少し高を括ってていたんですよ。それでも42歳になった頃から年齢的にも焦り出して、タイミング療法を試みても全然ダメ。私はもともと甲状腺の病気で橋本病を患っているので、それが子どもができにくい原因なのかとか思ったこともありました。ただ、病院で子宮や卵巣を診てもらうと卵子の質はよかったんです。
時間ばかり過ぎ、いよいよ本格的に焦ってきたところで旦那さんに体外受精を頼みました。ちょうどその頃、私たち夫婦の周りで国際結婚したカップル、5、6人のグループだったんですけど、その人たちが一気に子どもができ出して、うちだけ子どもがいなかったんです。友達家族と会うたびに、あまりに可愛い子どもたちに囲まれたら、旦那さんが「うちの子どももきっと可愛いよね」と言い出して。そこから旦那さんも子どもが欲しいといったモードになってくれて、2人の未来のビジョンの話し合いの結果、協力的になってくれました。
── 不妊治療も本格的に始まって。
アン ミカさん:ただ、私は排卵誘発剤を使っても何個も卵子が出るタイプではなく、いい卵がポンっと1個か2個できるタイプでした。つらかったのは仕事が休めないことです。急に卵子が大きくなってきても、病院に行くタイミングとうまく噛み合わない。明後日の何時に病院に来てと言われても収録が長引いたり、大阪にいたりで泣く泣く諦めたこともあります。病院に行ったら排卵し終わった後だったこともあって、恨めしい。生理がきてまた1か月先かっていう絶望感も毎回あったし、芸能人で近いタイミングで結婚した子たちが、ママ友になろうと言ってグループができたんですけど、みんなどんどん妊娠していくんですよ。私だけ取り残されていく感じ。次第にそのグループに行くと私も気をつかうし、悪気はなくてもそのグループからだんだん呼ばれなくなるようになりました。
仕事を少し休もうかとも考えましたが、楽しくて仕方ない時期だったんです。モデルからテレビの業界に来て、しばらく不安定な時期も経験したので、仕事がのってきているときに休むのは嫌だなって言うのもあったし…。漢方の先生のところに通って、私の体質に合った漢方を取り入れたり、先生に話を聞いてもらったり、漢方養生指導士の勉強もして、自分の体質も見直したりと、自分なりベストは尽くしたとは思っています。