2008年8月に生まれた娘がダウン症と診断されたフリーアナウンサーの長谷部真奈見さん。現実をなかなか受け入れられない中、夫婦の関係性も少しずつ変化していったと言います。(全5回中の3回)
大晦日に「大丈夫。出て行ってください」
── 2008年8月に出産された娘さんはダウン症でした。産後3か月は実家で過ごし、11月から東京に戻ったそうですが、現実を受け入れられないまま大晦日を迎えたそうですね。
長谷部さん:新年を明るい気持ちで迎えられず、またつらい一年が始まるのかとウジウジしていたんです。すると、夫が「わかった」と。「ここまでどうもありがとう。娘のことはもう大丈夫です。キミは今幸せそうじゃないし、次の年も幸せに思えないのだったら、自分で幸せを追求して、楽しい人生を送ってくれ。もう、子どもは僕が見るから大丈夫。出て行ってください」と言われたんです。
はじめは私もことの重大さがわかっていませんでした。結局、子育てをしているのは私だし、完全母乳だったので私が家にいないと困るでしょと言うと、「キミが長谷部家にいること自体がとっても失礼なこと。僕も長谷部家も娘を歓迎していて、みんなで前を向いて生きていこうとしているのに、ひとりウジウジされて娘にとっても失礼だ。病気も抱えているけど、かわいくて健気でこれからの人生を一生懸命生きていこうとする子どもがいて、キミだけそういう風になっているのは子どもにとっても家族にとっても失礼だ。もう一回言います。出て行ってください」と。
あぁ、そういうことかと。精神的に参っていたので、その辛さから解放されるなら私が家を出る方法もあるのかと一瞬迷いました。でも自分が産んだ子どもを置いていけないのもたしか。頭の中が混乱して、気づいたら泣きながら寝落ちしていたんです。
── そのまま新年を迎えて。
長谷部さん:子どもの泣き声で目が覚めました。夫は試供品のミルクを溶かして、娘が使ったこともない哺乳瓶でミルクを飲ませようとしていて。1月なのにふたりとも汗ビッショリなんですよ。私も授乳をしないと胸が張るので、いったんは私が授乳して、夫の発言に答えを出せないまま夫の実家に新年のご挨拶に行きました。
毎年お正月3日間は夫の親戚たちと一緒に夫の実家に泊まっていますが、微妙な夫婦の空気のまま3が日を過ごしました。
── それまで子育ての分担はどうされていましたか?
長谷部さん:夫がみることもありましたが、産休中は主に私がみていました。