お笑い芸人の小島よしおさんの鉄板ネタ「そんなの関係ねぇ」は、お笑いグループの解散後、ピン芸人になってから誕生しました。大ブレイクの舞台裏には意外な事実がありました。(全5回中の3回)

目標を見失ったころ、不思議な縁や偶然が起きた

WAGE時代の小島さん
WAGE時代の小島さん

── 早稲田大学在学中からお笑いサークルのコントグループ「WAGE」のメンバーとして、事務所にも所属してお笑いの活動をされていました。ところが、大学卒業とともにお笑いグループ「WAGE」が解散することになったそうですね。

 

小島さん:僕が2回留年して大学生活が6年目になるころ、中心的なメンバーだった岩崎う大さん(現・お笑いコンビ かもめんたる)が「辞めたい」と言い出して、同じころ芸能事務所も「契約を切ります」と。

 

「これからどうする?」「事務所を辞めてもグループ活動はできるし」と、お互いの意思を確認していくなかで、それぞれがお笑い、俳優、音楽など、別の道に進みたいことがわかって。「じゃあ解散かな」と。ただ、WAGEを続けることが目標だった僕は先を見失った感じでした。ネタも書けないし。メンバーとしてコントを演じているだけでしたから。

 

── そのころ、目標を失って、どんな生活を送っていたのですか?

 

小島さん:当時、東京ダイナマイト・松田さん、流れ星・ちゅうえいさんなど、お笑いの先輩たちに毎日のように遊んでもらっていたんです。家も近くに引っ越しました。WAGEを解散したことも話したら、「お笑いやりたいならあきらめずにやれよ」と背中を押してもらいました。

 

そんなとき、偶然、WAGEのメンバーのだった槙尾君が銀座でサンミュージックのマネージャーとすれ違ったんです。そのときに、「解散した後、WAGEのメンバーどうしているんですか?」ってマネージャーが槙尾君に話しかけてくれて。さらに「よかったらサンミュージックのオーディションを受けに来ませんか?」と言ってくださったんです。そこからピンのネタをつくることになりました。

 

芸人仲間と
芸人仲間と

オーディションの日、僕はサンミュージックに向かう直前まで、いつものようにお笑いの先輩たちといました。オーディションが4時からなのに、3時を過ぎても「まだ大丈夫だよ」って、先輩たちが僕を拘束するんです。「行かなきゃいけないし、練習もしたい」ってあせって言うと、先輩たちは「ここで練習やれよ、見てやるから」って言うんです。

 

それでネタを見せたところ、「これだとお前、サンミュージック入れないよ」「全然おもしろくない」って。急きょその場で先輩たちがオーディション用にネタをつくってくれました。ものの1~2分だったと思います。ありがたいことに、そのネタで僕はサンミュージックに入れました。

 

あのとき、槙尾君が銀座でたまたまサンミュージックにつながったことや、オーディションの日に先輩を振りきってあの場を去らなかったこと、素直に先輩のアドバイスを聞いてオーディションでネタを披露したことも、まるで奇跡のようです。でも、そんな偶然が重なって今があるんです。

 

── 人のアドバイスを素直に受け入れられるところが小島さんの成功の秘訣かもしれませんね?

 

小島さん:僕はアドバイスもらうとすぐやる派です。本当に。言われたことはすぐやってきました。やはり自分では見つけられない良さだったり、弱点とかに気づけることも多いですから。