お笑いをはじめ多彩な分野で活躍しているティモンディの前田裕太さん。野球の伝統校・済美高校時代に忘れられない出会いがあったそうです。辛い時期を支えてくれた存在と、相方・高岸宏行さんとの出会いについてお聞きしました。
初めての彼女は中学3年のクラスメイト
── 学生時代は野球漬けだったそうですが、恋バナをお聞きしても…?
前田さん:中学3年生のときに初めて彼女ができました。3年生で同じクラスになって、気になってて、いい感じではあったんですけど、進展するきっかけがなくて。
当時、小学校の高学年から続けていた野球のクラブチームで、中学3年の夏に最後の試合があったんです。どんどん勝ち進んでいて、全国大会で優勝するような強豪チームと当たることになって。そのときに、僕はその子に「いつも応援してくれたんで、試合に勝ったら、伝えたいことがある」って話しました。
── 結局、どうなったんですか?
前田さん:試合には負けちゃったんです。でも、試合後に僕ら3年生が野球部を引退するとき、彼女が「お疲れさまでした。頑張ってたのをずっと見ていたから、何でもひとつ言うことをきいてあげる」と言ってくれて。「じゃあ、試合には負けてしまったけど、今言わせてもらってもいい?」と僕から…。
── 告白したんですね!
前田さん:苦手なんですけどね、そういうの(笑)。
みんながLINEでやりとりするなか神奈川と愛媛で“文通”
── 中学3年の夏の告白をきっかけに、気になっていた女の子と付き合うことになったのですね。
前田さん:ただ、僕は、実家のある神奈川から野球の強豪校として知られていた愛媛の済美高校に進学することが決まっていたので、彼女とは必然的に遠距離恋愛になっちゃって。
当時、済美高校は携帯電話の使用が禁止されていたこともあって、「連絡手段がない」となったんですね。それだとしんどいだろうし、相手の女の子もキラキラした高校生活が待っているはずだから「別れようか」って話をしたんです。そうしたら、「それでもかまわない」と言ってくれて。済美高校に進学してから、神奈川と愛媛で2年くらい文通を続けました。
── なんと、文通ですか!
前田さん:すごいですよね。平成も後期で、みんなLINEとかしている時代なのに。神奈川と愛媛って遠いから、手紙が一往復するのに1週間くらいかかるんですよ。しかも、休みが年末年始の3日、4日くらいしかなくて、そのうち数日は家族と過ごすから、彼女とは1年に2、3日会えるかどうかでした。それなのに、ずっと手書きの手紙を送ってくれて、よく相手をしてくれたなと思います。
── 前田さんも相手の方をすごく大切に思われていたんだろうなと思いました。だって、前田さんから返事がないと彼女も手紙を出せないはずだから。
前田さん:言われてみれば…。同じ人と文通を2年間もなんて、なかなかないですよね。
── 甲子園に向かって練習に打ち込んでいた時期を彼女が支えてくれたんですね。
前田さん:本当にそうですね。今はもうご結婚されていますが、いい経験でした。
甲子園の夢が破れ無気力な時期を過ごした図書室
── 済美高校では甲子園を目指していましたが、高校3年の夏、惜しくも県大会の決勝戦でサヨナラ負けという結果となりました。その後、すごく落ち込んだそうですが、高校には通われていたのですか?
前田さん:試合に負けた直後の1、2週間は、神奈川の実家に戻って、家から1歩も出ないで寝て起きて…を繰り返していました。でも、その後、高校には通っていました。ただ、寮生活で時間を持て余してしまって。そのうち学校の図書室に通うようになったんです。
ある日、図書室で「涼しくていいわ」ってボーッと座っていたら、司書さんから声をかけられたんです。「何日か連続で来てるね。野球部の子でしょ」って。そのときにその方が一冊の本を手渡してくれたのをきっかけに、1日1冊お勧めの本を借りて、読んで、返して、また借りて、というやりとりをするようになりました。卒業するまで半年続いたかな。
── そんな出会いがあったんですね。
前田さん:文章が短い本だと1日2冊借りたりしていました。ジャンルは小説から宇宙の秘密、化学系の読み物まで。面白くないのもあったけど(笑)、全部読みました。
本って、おかゆのように心を満たしてくれるよさがあると思うんです。優しいテイストのもの、すごく考えさせられる読み応えのあるもの、いろいろ。司書さんがすごくいいセレクトをしてくれていたなあと思います。
1日1冊の本で冷え切っていた心が温まっていった
── 司書の方はどんなふうに本を勧めてくれたのですか?
前田さん:いつも「今のあなたにいいかなと思って」と言って渡してくれていました。「これは面白いと思えるかな?」「この本はちょっと大人っぽいかな?」って、毎日僕に合わせて本を選んでくれていたんだと思います。
本を通して、司書さんからのメッセージを受け取っていたような気がします。「絶対に行く」と決めていた甲子園に結局手が届かなくて、未来に絶望していたのですが、でもそのやりとりのおかげで、冷えきった僕の身体と心が少しずつ温まっていくのを感じていました。
といっても、キラキラした未来は感じられなくて、なかなか「もう一度人生を」と立ち上がれなかったんですが…。それでも卒業式の頃には、「今の自分も別に悪くないかな」と思えるようになりました。
── 卒業式の頃、司書の方とは何か言葉を交わしましたか?
前田さん:特別な会話はないのですが、卒業が近くなると卒業系の小説を渡してくれていました。「卒業はある意味区切りだけれど、そこで何かが終わるわけではない」みたいなメッセージを感じる本が多かったですね。「卒業で縁が終わるわけでもないし、ただのセレモニーにすぎないよ」みたいな。
── しんどかったときにその司書の方と出会えてよかったですよね。
前田さん:はい。確実に「いい出会いだったな」と思える一人です。
相方・高岸さんからの「お笑い一緒にどう?」にOKした理由
── その後、前田さんは無事大学に進学されました。3年生の頃、高岸さんから誘われて芸人の道へ進んだそうですが、高岸さんから声をかけられたときのことを覚えていますか?
前田さん:高岸は済美高校の同級生で、同じ野球部だったんです。2014年の年末に、高岸から「進路どうするの?」と聞かれて、「大学院に行くことが決まってる」と答えたら、「お笑いやろうと思うんだけど、一緒にどう?」と言われたんです。それで、新年を迎えたタイミングで「いいよ」と返事をしました。
── なぜ、「いいよ」と答えたのですか?
前田さん:僕自身、人生を賭けていた野球でほしいものが手に入らなかった挫折を経験したこともあって、希望と夢を託した前田裕太という人間が一度いなくなったような気持ちになっていました。
「絶対にやりたい」ものが消えてなくなったときに、高岸からの話は「楽しそう」と感じられたし、「高岸とだったら」と思いました。その頃はまだ、「お笑いでご飯を食べていくぞ」という決意まではなかったですが、「やってみようかな」と思えたんです。
だから、たとえ高岸が「辞める」と急に言い出したとしても、一緒に辞めていたと思います。でも、今は芸人の仕事を続けられて、しかもご飯を食べられるようになって、すごく感謝しています。
PROFILE 前田裕太さん
1992年、神奈川県出身。高校からの友人、高岸宏行さんとお笑いコンビ・ティモンディを結成。前田さんはツッコミ・ネタ作り担当。「やればできる!」を持ちネタにした漫才で数々のバラエティ番組に出演、また現在、NHK『天才てれびくん』にMCとしてレギュラー出演中。文武両道を活かしたラジオ番組やコラム連載など多方面で活躍。
取材・文/高梨真紀 写真提供/前田裕太、グレープカンパニー