恋愛がネタに好影響も「芸人として結婚は悩んだ」
── ご主人とのなれそめも聞かせてください。
紺野さん:ちょうどその時期、29歳で出会いました。バイトを辞めたものの、やっぱり厳しくて。給料が10万前後で、「来月は手取り7万かも。あと1万あったらギリ生活できるのに」って、辞めたことを後悔してたんです。プロとして生きていくことの難しさを感じて歯科助手のバイトを始めたんですけど、歯科助手って覚えることがめちゃくちゃいっぱいあって。週1~2回でできることじゃなくて、大変すぎてもうダメかもって思っていたときに、居酒屋で彼がナンパしてきたんです。
「好みなので結婚してほしいです」みたいなことをいきなり言ってきたんですけど、もう疲れすぎてていろんなことがどうでもよくなっていたので、「じゃあ保険証を見せてください」って言ったら、スッと見せてくれて。保険証を見たら、私と同じ1986年生まれ!会社名もちゃんとしてる!社保じゃん!って思って(笑)。危ない人じゃなさそうな感じがしたので、連絡先を交換して。後日会って、つき合うようになりました。
── お仕事にはどのような影響がありましたか?
紺野さん:つき合ってから、ネタがいっぱいできました。「占い師」というアジア人女性に扮した私が占いをするネタがあるんですけど、あれも彼がきっかけです。
ネタが全然できなくて悩んでいたときに、彼の肩をマッサージしていた私がふざけて「気持ちいいですか~?ここがよく効くツボだよ~」とかやってたら、「それおもしろいからネタにしなよ」って言われて。「あなたにネタの何が分かるんですか?素人が口を挟まないでください」って言い返したんですけど(笑)、ネタ見せでやってみたらすごく評判がよくて、そのまま賞レースの決勝にも行きました。心が穏やかになって、肌もきれいになって、体がすごく軽くて、風邪も引かなくなりました。
ただ、結婚に関しては仕事的にはまだまだしないほうがいい時期で、悩みました。やっぱり下ネタをやってるし、わりと恋愛についてよく聞かれてたし話してたし、女芸人としては彼氏いないポジションみたいなものがベターで、それで自虐ができたり笑いが取れたりもするし。俳優さんが来たら「わー!好きです!」とか、きれいな人が来たらやっかみを入れるとかもあったから、結婚をするとどうしても独身キャラが使えなくなってしまうじゃないですか。
でも、初めて卵巣嚢腫の手術をした5歳のときから、母親にはずっと「早く結婚して子どもを産んでほしい」と言われていたんです。病院でAMH値(卵巣に卵子がどれくらいあるかを示すもの)を調べたら「閉経直前の人と一緒です」という指摘も受けて。交際期間が2年半経っていて、リミットが近いことやいろいろな状況を理解して寄り添ってくれたので、自然と結婚したいと思うようになりました。
「お笑いができなくなるなら妊娠を諦めようかな」
── 結婚後、キャリアと妊娠・出産のバランスについて悩むこともありましたか?
紺野さん:めっちゃありました。いざ、妊娠・出産について考えましょうとなったら、閉経直前の状態だから急いだほうがいいし、だけど妊娠すると十月十日だし、産んだあとは夜のライブ出演とか想像できないし、周りにそういう人もいないし…と悩みに悩みました。だから、本当は早く賞レースで優勝して、出産しても戻ってこられる“席”を作りたかったんですよね。チャンピオンという立場であれば、産後も舞台に呼んでもらいやすいんじゃないかなと。でも、なかなか難しくて。
たまたまその時期、子宮頸がんの定期健診に半年ほど行けなかったんです。久しぶりに行ったら、前々から子宮頸部異形成とは言われていたんですけど、「上皮内ガンまでいっている。あと1歩で子宮を取らないといけないかもしれない」と医師に指摘されて。えー!ちょっと待って!卵巣嚢腫を患ってから、卵子の数が少ないからピルを飲んで排卵させないようにして、そのピルも21歳から10年以上飲んできて、毎月お金も使ってきて、定期的に検査も行ってたのに、子宮まで持ってかれるの?ってショックで。ダジャレじゃないですけど、「至急、妊娠や!」ってなりました(笑)。
ただ、それでもなお悩んでいました。まだ見ぬ出産と今ある自分の好きな仕事を天秤にかけると、もう今までみたいにお笑いができなくなるのであれば、妊娠を諦めようかなと考えたりもしました。
── 妊活に舵をきったきっかけは、何だったのでしょうか?
紺野さん:どうするかずっとずっと悩んでいて、元女芸人の友達に相談したら、「自分はどうなりたいの?」って聞かれて。「私は子どもを産んでもネタを作って、賞レースにも出たい。結婚しても面白さが半減しなくて、むしろ、もっと面白くなったって言われるような人になりたい」って答えたんです。
そしたら、話しているうちに「ずっとそういう人を見てみたかったな」って気づいて。今までの私は、女芸人という存在はどこか儚くて、結婚したらセオリー通りのお笑いはできないし、出産したら母ちゃんになって、ライブにいっぱい出るという存在ではいられなくなる、それは寂しい、みたいな固定観念があったんです。でも「私が1年目だった当時はまだいなかったけど、もし周りに全部をやっている人がいたら、私も悩まなかったかも」と思ったときに、「じゃあ自分がそういう人になってみようかな」って、踏んぎりがつきました。
あと、子どもに対して、こんな母ちゃんだとかわいそうだっていう不安というか、責任感もあったんです。でも「私は産むけど、育てるのはお願いしますね」って旦那さんに言ったら、「もちろんだよ!僕は喜んで子育てするよ~!」みたいなテンションで(笑)。それでようやく、子どもができるかどうかは分からないけど、妊娠に向けて進んでいこうという流れになりましたね。
PROFILE 紺野ぶるまさん
1986年生まれ、東京都出身。松竹芸能東京養成所を経て、2010年にデビュー。「ABCお笑いグランプリ」や「R-1ぐらんぷり」、「THE W」で決勝進出を果たした。著書に『「中退女子」の生き方~腐った蜜柑が芸人になった話』(廣済堂出版)、『下ネタ論』(竹書房)、『特等席とトマトと満月と』(幻冬舎)がある。2019年に会社員男性と結婚し、現在は1児の母。
取材・文/長田莉沙 写真提供/紺野ぶるま