紺野ぶるまさんは、高校中退後、通信制高校に編入しました。進路に悩んだ時期には、卵巣嚢腫の再発や突発性難聴も経験。心身が疲弊していた紺野さんは、お笑い番組に元気をもらい、芸人の道へ進むことにしました。下ネタなぞかけでブレイク、賞レースの決勝進出、結婚と、順風満帆に見えた一方で、キャリアと妊娠・出産について苦悩したこともあったようです。(全4回中の3回)
「ブルマパーティー」を見て芸人になることを決意
── 卵巣嚢腫と突発性難聴の治療が終わったころ、松竹芸能の養成所に入所されたんですよね。
紺野さん:はい。2回目の卵巣嚢腫が最悪で。病院で「卵巣は2つあって、右は5歳のときにすでに削ってあるから、今回腫れているのがもし右だったら右は取っちゃって、左は健康な状態を保ちましょう」と言われていたんですよ。きっと神様っているはずだから、取るのは右かなと思っていたら、まさかの左で。どっちも削られちゃって、もう最悪…ってなって。母は「私がちゃんと産めなかったから」と言って泣いちゃうし、私も入院生活で痩せちゃうし、退院後は突発性難聴にもなるし。
そんなときに、テレビで「爆笑レッドカーペット」を見ていたら、くまだまさしさんと鈴木Q太郎さんが出てきて。2人がブルマを穿いて、頭に黄色い耳みたいなのをつけて、鼻に管を通して、その管と耳が繋がっていて、「今からピカチュウにならないように1枚のブルマを穿きます」って言って、ブルマを片足ずつ通して穿こうとするんです。けど、2人とも穿くたびにピュッピュッピュッと鼻から息が漏れて、最後はピカチュウになる、「ブルマパーティー」というネタを見たんです(笑)。
もうこれが本当に楽しくて。初めて「あ、生きてる!」って実感しました。そのときに偶然、電車内に「松竹芸能、求むスターたち」みたいな広告があって、オセロさんやTKOさんが顔写真つきで載っていたんです。ネットで調べてみたら35万だったので、これまで2つの怪しい事務所に登録料やレッスン料を計100万ぐらい払わされてきた私から見ると、めっちゃちゃんとした事務所だし、値段もすごく安く感じて、入所を決めました。
でも、初めは女性タレントコースに入ったんです。東京に生まれて普通に育った私に、芸人という選択肢があるとは思っていなかったので、タレントコースで日舞や演技を学んでたんですよ。担当の桃井かおりさんをダビングした感じの先生が「私さあ、今日電車で来たんだけど。〇〇ちゃんが優先席に座ってました。あんたさあ、これから女優になるのにさあ、なんで座ってんの?それを見た子どもたちはどう思うの?あなた、有名になる気ないでしょ」みたいなことを言っていて。
その話を聞いて、今までの自分を見つめ直しました。困っている人を助けるとか、人前に立つ人間としてどうあるべきかとか、それこそ“更生”というものを、養成所でめちゃくちゃしてもらったかもしれないです。ここが更生施設みたいな。
そんなこんなで入所して半年経ったときに、「このあとネタ見せがあるよ」って聞いて見に行ったんです。そしたらみんなネタは完成してなくて、でも完成してないけどやっていて。「あ、できてなくてもやっていいんだ」と思って、私もネタを書くようになりました。
── デビュー後は、下ネタなぞかけで人気に火がつき、「R-1ぐらんぷり」や「THE W」の決勝にも進出されました。努力したことや周囲の反応などを教えてください。
紺野さん:正直、なぞかけは練習したことがないんです。元々『egg』を読んでいたギャルのころからなぞかけが好きで、テレビでねづっちさんを見ていたし、思いついたなぞかけを友達に「ちょっと、こんなんできたんだけど」ってメールで送ったりしてたんですよ(笑)。だから、最初から結構楽しくできていたかもしれないです。ただ、下ネタでなぞかけをするようになってからは少し練習するようになって、辞書を持ち歩いていました。辞書を見ているといろんな単語があって、探すと意外と知らない言葉がいっぱいあって。例えば、業務委託の“委託”は“痛く”にも使えるので、覚えておこうとか。
周りの反応は、当初は否定的な意見もありました。家族も少しざわざわしてて。でも、伊集院光さんや吉田照美さんが「彼女はすごく難しいことをしている」みたいなことをラジオで話してくれて、家族が急に寝返りました。事務所の人も「ぶるまってすごいな」って対応がめっちゃ変わりました(笑)。2人が言ってくれていなかったら、きっと今もお下劣で変なやつだと思われているはずなので、すごく感謝しています。
── ブレイクを感じた瞬間はありましたか?
紺野さん:いやいや、売れてないです。ただ、前よりはマシになったかもで言うと、「R-1」決勝進出の前年、29歳でバイトを辞めたときですね。その時期はいろんなオーディションを受けていて。「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」の「山‐1グランプリ」のオーディションに行ったら、発泡スチロールで何でも作るできたくんっていう芸人さんから「バイトってなかなか辞められないから、『これ受かったら辞める』とか決めたほうがいいよ」って言われたんですよ。「じゃあ、今日のオーディションに受かったら辞めます」と宣言して。「山‐1グランプリ」に受かってバイトを辞めたときは、もしかして芸人だけで生きていけるかもしれないと感じて、すごくうれしかったです。