人気絶頂期に渡米を決断し

── 20代後半で突然アメリカに5か月間、留学されました。スケジュールの調整は大変ではありませんでしたか。

 

相武さん:正直、周りは「なんで今!?」という感じで、すごく嫌がっていました(笑)。でも私の中では絶対に20代のうちに海外留学をしてみたいという気持ちがあって。本当は大学などで行けたらよかったのですが、10代から仕事を始めてそれは叶わなかったので。

 

留学する前も、忙しいスケジュールの合間を縫って1週間お休みをいただけたら、母と海外旅行には行っていたんです。旅行もいいけれど、やっぱり自分で海外生活を送ってみたいという気持ちが強くなりました。

 

日本にいると、いつもマネージャーさんやスタッフさんに支えてもらっていて、すべてに誰かのサポートがあったので「私って本当にひとりで生活できるのかな」という不安もありました。同世代の友人は就職していたので、私からすると自立しているように見えました。大人の階段を登っていく友人たちを見ていたら、私も何かをしてみたい!という思いが大きくなって、1年ほど前からお休みをくださいと話をして、スケジュールを調整していただきました。

 

相武紗季さん
デビュー後すぐから多忙な生活を送っていた相武さん

── 現地での生活はいかがでしたか。

 

相武さん:最初はホームステイで2〜3週間くらい過ごし、そのあとは自分で寮を探しました。サンフランシスコやニューヨーク、ボストンやカナダにも行きました。いろんな場所を訪れて現地で友人を作って。仲良くなった子と一緒にナパバレーのワイナリーに行ったり、ナイアガラの滝を見に行ったり。

 

日本人以外にも、アメリカやスペイン、コロンビア出身の子とも仲良くなり、今でも連絡を取り合う仲です。本当に自由に過ごしていたのですが、今思えば、行き当たりばったりでよくあんなに動いたなと思います。

 

── 危険な目に遭うことはありませんでしたか。

 

相武さん:サンフランシスコでは銃撃戦がありましたし、窃盗団などもいて、街角で銃声が聞こえることもよくありました。銃声が聞こえたらビルに逃げ込むなんてことも日常茶飯事で。ボストンでは、アジア人へのヘイトクライムで差別的な言葉をかけられることもありました。

 

でも「怖いな、嫌だな」というより、衝撃のほうが大きかったです。「こういう世界もあるんだ」という感じでした。日本に住んでいると、なかなか思ってもみないことは起きません。別の次元から世界を見ている感じがして、世界にはこういうことが普通に起きているというのを肌で感じましたし、危機管理能力も養われたと思います。

 

もっと早くに海外に行きたかったとずっと思っていたのですが、大人になって、ある程度いろいろな常識や能力を身につけられてから行けて良かったです。

 

LGBT(当時)のパレードを見たのも初めてでしたし、新しく知ることも多くあって。日本はやっぱりいろんな面で恵まれています。住んでいるとなかなか気づかないのですが、一度離れてみて「こんなに素敵な国で育ったんだ」ということも知りました。それに、日常から離れて自由に暮らしてみると、自然と自分のしたいことも見えてきて、より生きやすくなったので貴重な経験ができたなと思います。

 

PROFILE 相武紗季さん

スカウトをきっかけに芸能界入りし、2003年フジテレビ「WATER BOYS」で俳優デビュー。その後、ドラマや映画、CMなどで活躍。主な出演作に「ブザー・ビート〜崖っぷちのヒーロー〜」、「リッチマン、プアウーマン」、「リバーサルオーケストラ」、「ラストマン -全盲の捜査官-」など。

 

取材・文/内橋明日香 写真提供/相武紗季