日本舞踊の家庭で育った五月千和加さん。派手な身なりから日本舞踊の異端児と呼ばれ、SNSでは誹謗中傷を受けながら活動を続けて(全2回中の1回)。
着物にレース、カツラは赤にしたのは
── 学生時代はどんな生活をしていましたか?
五月さん:中学受験を経て憧れの中学校に入ったものの、学校ではあまり派手に日本舞踊の活動で目立つことが良くない雰囲気で、転校することになりました。でも、結果的に日本舞踊に時間を注ぐことができましたし、舞踊家として大きくスキルアップできたと思います。
── 21歳のときに家元を襲名。伝統的な楽曲が使われる日本舞踊で、五月さんは洋楽や最近のJ-POPを取り入れたそうですね。
五月さん:日本舞踊は地味で高齢者が好むものというイメージがあり、私と同じ年代の子たちはまったく興味を持つ子がいなくて。そのため18歳頃から、自分の好きな曲を舞台で使うなど、少しずつ変化を取り入れていきました。
本格的に日本舞踊の世界を変えなければいけないと感じたのは、21歳で家元を襲名したときです。社団法人日本舞踊協会の会報誌を見ていたら毎月たくさんの退会者がいて、「将来、日本舞踊はどうなるのだろう」と危機感を持ちました。これまでのやり方ではなく、新しいことをやらないといけないと感じて積極的に行動しました。
── 楽曲以外にも取り組んだことはありますか?
五月さん:着物にレースやラインストーン、カツラの色をブロンドや赤に変えるなど、ビジュアルにも工夫しました。これまでの伝統とは違うことをしたため、同じ業界の人たちから異端児として扱われ、バッシングやいじめを受けたことがあります。
またSNSの普及が進み、ネットで叩かれたこともあります。SNSは見なければいいとはいえ、事務所には誹謗中傷のハガキが届くこともあり、メンタル的には非常につらい時期でした。ただ、自分が誰かに迷惑をかけていない限り自分を信じるしかないと決意し、今日まで頑張ってきました。時には深く落ち込むこともありましたが、そんなときはいつも家族のことを思い出し、心の支えとしてきました。
── ご自身の気持ちや考えは、まわりの人に伝えていましたか?
五月さん:いえ。正直、言えないことのほうが多かったです。私はメイクも服装も派手で、赤やブロンドの髪で目立つため、ズバズバと物を言いそうなイメージがあるかもしれませんが、実際はナイーブでセンシティブな性格です。30代になった今でも、高校を転校したこと、学問が苦手だったこと、自身の派手な変化に、祖母や両親に対して申し訳なさを感じることもあります。でも、今は子どもを持つ身分として自分の意見をはっきり言うようにしています。
── 幼い頃からご実家でも気をつかわれてきたのでしょうか?
五月さん:はい。祖母は厳格で礼儀作法に厳しく、祖母と孫というよりも、師匠と弟子のような関係でした。でも、稽古以外は孫にとても甘くて、稽古がお休みの日はよく祖母と浅草に出かけて好きなものを買ってもらっていました。母とは昔から仲がよく今も友達のような関係が続いていて、師弟関係は続いています。
── 日本舞踊以外でも気をつかうのでしょうか?
五月さん:はい。子どもの頃から誰に対しても非常に気を使ってしまう性格でした。友達にもはっきりとした意見を言えず、合わないと思うと自分から距離を取ってしまうこともあります。文句を言ってそこで無駄な時間と無駄な労力をかけるのだったら、離れた方が良いのかな、と思ってしまうんです。