不妊治療の末、今年10月に44歳で第1子を出産した元日本テレビアナウンサーの宮崎宣子さん。10歳年下のパートナーとの出会いから、不妊治療を決意し葛藤した当時について伺いました。(全4回中の4回)
10歳年下の夫と仲良くなったきっかけ
── 現在のパートナーとの出会いを聞かせてください。
宮崎さん:離婚してからは「愛犬さえいてくれればいい」と、ひとりの時間を満喫していました。
そんなときに旅行したロサンゼルスで、出会ったのが現在の夫です。観光用小型飛行機の操縦体験に参加したのですが、そこにパイロットとして同乗してくれたのです。彼は10歳年下ということもあり特に意識することもなく、再会したのは3年後でした。
── 再会のきっかけは何だったのでしょう?
宮崎さん:私が故郷・宮崎で仕事の予定があり、彼は仕事の研修を終えて九州から東京に戻るタイミングだったそうで、SNSを通じて「せっかく九州にいるならお茶でもしよう」と3年ぶりに再会しました。
その後、東京に戻るとすぐにコロナ禍が始まり、仕事もなくなり、友人とも気軽に会えなくなってしまいました。そんなときに彼から「よかったらお茶しませんか?」と連絡をくれるようになり仲良くなりました。コロナが大きなきっかけでしたね。
── 結婚に至った決め手はありますか?
宮崎さん:私は離婚経験もあり、なかなか結婚は考えられませんでした。年の差も気になっていましたが「女性の寿命は男性の寿命より7〜8年長い。ということはどちらかが長く残されるということもないし、ちょうどいいね」と言ってくれて。さらにおつき合いして1年後くらいから入籍までのおよそ1年間、彼から「なぜ私と結婚したいのか」ということが書かれた手書きの手紙が毎日届くようになりました。
そこまで考えてくれる人にこの先出会うことがあるだろうか、むしろこの歳で出会えたことに感謝しなければと思うようになりました。
妊娠しないと「不合格」の烙印を押された気持ちに
── 2021年に結婚された後、不妊治療に臨まれた経緯を伺ってもいいですか?
宮崎さん:結婚の話が出たとき、私は41歳で彼は31歳。そんなときに43歳で出産した友人から「1ミリでも子どもが欲しい気持ちがあるなら、早めに病院に行ったほうがいいよ」というアドバイスをもらい、夫婦で子どもを持つことについて改めて真剣に考えたんです。
夫婦ふたりで生きていくのもいいけど、年を重ねたときに「あのとき、不妊治療に挑戦していたら」と後悔する日が来るかもしれない。そう思ったとき、「もし子どもができたら嬉しいけど、できなくてもいい。後悔だけはしないように、できることをやってみよう」と、夫が背中を押してくれました。
当時、すでに40歳を超えていたので「厳しいだろうな」という気持ちはありました。ただ「ダメならダメで受け入れよう。ダメだとわかるだけでもいい」と腹をくくり友人に病院を紹介してもらうことにしました。
── 実際に治療を始めて、いかがでしたか?
宮崎さん:不妊治療は体への負担が大きいので、休みを取りながら自分が辛くならないペースで取り組もうと考えていましたが、うまくいかないと「不合格」の烙印を押されたような気持ちになり自分を責めそうになりました。
一度はじめた不妊治療をいつまで続けるべきなのかわからなくなっていたときに大学院に通い始め、治療と並行して勉強に励んでいました。勉強が楽しくのめり込む一方で、不妊治療ではいい結果を得られませんでした。
「トンカチで頭を殴られたよう」衝撃的だった友人の言葉
── 大変でしたね。
宮崎さん:そんなときに治療を勧めてくれた友人から「勉強はいつでもできるけど、子どもを持つことにはリミットがある。大学院の勉強は今じゃないと思う」と言われ、「そうかもしれない」とトンカチで頭を殴られたような衝撃を受けました。
それから治療に専念するため、大学院を半年休学することにしました。休学中にやれることをして、もし結果が出なければ不妊治療はやめようと夫婦で話し合って決めました。
── 出産をされて人生観に変化はありましたか?
宮崎さん:よく聞かれるのですが、正直まだ3時間おきの授乳に追われて眠れていなくて、母になった実感を噛みしめる余裕もないのが現状です(笑)。
人生観に大きな変化はなくて、「子育て」という責任を持って成し遂げなければならないことを、またひとつ得ることができたと感じています。子どもをはじめ、家庭や自分の会社や商品ブランド、キャリアなど、守り育てるものが増えましたが、育児や仕事、家庭、学業におけるすべての経験が相乗効果となって横断的に活きていくのかなとすべてを楽しみたいと思っています。
PROFILE 宮崎宣子さん
宮崎県出身。2002年、日本テレビにアナウンサーとして入社し、「ラジかるッ」「ザ・世界行天ニュース」などを担当。愛嬌のあるキャラクターで親しまれる。フリーアナウンサーに転身後は、2018年に自身がプロデュースするオーガニックハーブを扱うボディーケアブランド「EMARA」を立ち上げ、実業家としても活躍。2022年から早稲田大学経営管理研究科に在学中。2021年に再婚し、不妊治療を経て2023年に第1子を出産。
取材・文/笠井ゆかり 画像提供/宮崎宣子