モデルの畑野ひろ子さんに、暑さ寒さの影響を受けながら屋外で行う撮影秘話や、「やせなきゃいけない」と無理をしていたという20代のダイエット法についてお話を伺いました。(全4回中の1回)

「真冬の雪山、炎天下でファー」撮影の裏話

── 17歳でモデルとしてデビューされ、長年モデルを続けていますが、当時と今の違いを感じることはありますか。

 

畑野さん:当時は夜中まで撮影するのが当たり前で、2日間繋がって撮影するようなこともありました。それに、今のようなロケジャン(冬の屋外で着る丈の長い防寒着)もなかったですね。今は真冬の撮影にはジェットヒーターが用意されて、ロケジャンがあって、昔と比べてみるとありがたすぎる環境だなと思います。当時はダウンを自前で持って行っていた記憶があります。メイクもベースまでは自分ですることも多かったですし、今とは結構違いますね。

 

畑野ひろ子さん
美味しそうなパンケーキを前に2人の娘と30代の頃の畑野さん「キュートすぎるママ!」

── 撮影では海外にも多く行っていたそうですね。

 

畑野さん:海外班のような形で使っていただけたので毎月のように海外に行っていました。ハワイやロスにはしょっちゅう行っていましたし、イタリアにあるスキージャンプで有名なコースに行ったこともありました。

 

スキーはあまりしたことがなかったので、撮影が終わっていざ下に降りるときに、「滑れない」と言ったら、ものすごい急斜面をソリで滑ることになったんです。あまりにも急すぎて途中、転がったりしながら(笑)。衝撃的ですよね。

 

── さながらドッキリですね。

 

畑野さん:スキーかソリの二択しか手段がなくて。降りないとずっと山の上にいなくてはならないので、ソリを選びました。帰国して周りの方にこの話をしたら、「なかなかそんなところ行けないよ!」と言われましたし、貴重な体験をさせていただきました。

 

ラスベガスでは気温が40度以上の炎天下で、ファーなど真冬の服装をして撮影をしていたんです。そしたら現地の警察がやってきて、「お前たち、何をしてるんだ?こんな暑い日にそんな服を着ていたら死んじゃうぞ」と注意されたこともありました。

 

── 外の撮影は暑さ寒さへの対応が求められますね。モデルや俳優の方は顔に汗をかけないと聞きます。

 

畑野さん:ここ数年の日本の夏の暑さは異常なので、流石にじんわりテカったりすることはありますが、体には汗をかいても基本的に顔に汗は流れないですね。

 

── すごすぎます。何か工夫していることはあるんですか。

 

畑野さん:うーん、気合い?(笑)いえ、冗談ですけど、半分冗談でもないです。私だけではなく結構、皆さんそうですよね。涼しい顔をして撮影していますけど、いざロケバスに戻って着替えてみると体は汗だくなんてことは多いです。

 

たぶん、「汗をかいちゃいけない」という緊張感から来るのかなと思います。真夏の撮影はスタッフさん総出で心配してくれてありがたいです。分厚い服を着て撮影するので、たしかに暑いんですけど、私は着替えるたびにロケバスに戻ったり、冷たいお水を飲んだりできるんです。

 

畑野ひろ子さん
ヘアカットを終えた畑野さん。47歳にはまったく見えません!

カメラマンやアシスタント、ライターなどのスタッフさんの方が外に長時間いるので私からすると心配です。余計なお節介かもしれないんですけど、「ちゃんとお水、飲んでる?」と声をかけてしまいます。撮影はチーム力が大事ですしね。

 

1カット1カット時間が限られている撮影の途中で、アクシデントがあるなんてこともしょっちゅうです。突然訪れたピンチも、それぞれができることを精一杯やってチームワークで乗り越えていくのですが、これがモデルを辞められない楽しさでもあるなと思います。

「やせなきゃいけない」と無理なダイエットを

── モデルを長年続けるなかで体型維持はどうされてきましたか。

 

畑野さん:今振り返ってみると、20代は恐ろしいことをしていました。当時、スーパーモデルが絶世期だったので、シュッとしていて細いモデルがブームでした。それがかっこいい、これこそがモデルだという世の中の流れだったので、「やせなきゃいけない」という意識が常にありました。

 

周りから「やせなさい」と言われることはなかったのですが、暗黙の了解で撮影中も水分はとっても食事は控えるなんてことは結構ありました。食事をとるにも夜6時以降は絶対に食べないとか。でも、これは当時だからできたことだと思います。食べなくても10代、20代はたとえ夜中まで撮影がかかっても、それができちゃうんです。若いって無理がききすぎてしまうので怖いなと思います。

 

── やせることへの意識が変わったのはいつ頃でしたか。

 

畑野さん:20歳の頃に、ビールのキャンペーンガールのオーディションを受けたのがきっかけになったと思います。キャンペーンガールは地方に行ったり、いろんな方にお会いしたり、誌面とは違った活動をするので、チャレンジしてみたいと思っていたんです。

 

でも実は私、1回目に受けたときは最終的に落ちてしまって。落ちた理由は、細すぎたことが原因だったと聞いたんです。水着体型ではなかったのと、細すぎて健康的ではないと言われました。キャンペーンガールはビールを持ったときに、ビールが美味しそうに見えなくてはならないんです。

 

モデルとして細くいなきゃならないと思っていたことが逆にあだになってしまった。もう、悔しくて悔しくて。その後、1年かけて数キロ太らせて、筋トレもして、翌年に同じビール会社のオーディションに挑みました。1年越しに合格した時の嬉しさは、今でも忘れられない思い出になっています。

 

── モデル以外にも俳優としてもドラマなどに出演してご活躍されますね。

 

畑野さん:やってみたいなという気持ちはあったのですが、実際してみるとすべてが大変でした。モデルは静止画ですが、ドラマとなると360度見られながら動きが入ってセリフも言わなくてはなりません。それに、撮影はひとりではなく相手の方や周りの方がいるなかでの演技が求められます。

 

もう、無我夢中という言葉がまさに当てはまる時期だったと思います。今振り返ってもこのときはあまり記憶がないんです。ありがたいことに何作品もドラマに呼んでいただけたのですが、どの現場もスタッフの人数がモデルの現場よりも桁ひとつ違うくらいの大勢の方がいました。何をとっても勉強になりましたし、刺激になりました。周りの方を見ながら仕事をするというのはその後のモデル活動にも活きてきたので、本当に貴重な経験をさせていただいたと思います。

 

PROFILE 畑野ひろ子さん

ファッション誌『JJ』の専属モデルを経て、テレビドラマ、映画、CMなどに出演。その後ファッション誌『CLASSY』のレギュラーモデルを努め、結婚、出産。二児の母となり、ファッション誌『VERY』、『STORY』にて活動しながら、お花の魅力を伝えるフラワーライフスタイルプロデューサーとして「WILL GARDEN」を設立。レッスンを行うほか、イベントやECサイトでの販売のサポートを手がける。

 

取材・文/内橋明日香 写真提供/畑野ひろ子