2011年に加藤茶さんと結婚した加藤綾菜さん。約7年、世間から強烈なバッシングを浴びましたが、さらにツラかった時期があったと語ります。(全5回中の5回)

幸せになるはずの結婚が…

── 2011年に結婚されましたが、夫婦で45歳差があったことで長い間バッシングを受けました。

 

綾菜さん:結婚は世間に公表していなかったんですが、結婚から半年くらい経ったときに、突然、報道されました。仕事から羽田に戻ってきたら200人くらいの報道陣に囲まれて、その日を境に7年くらいバッシングが続いたんです。「財産目当て」「保険金目当て」「売名行為」とかいろいろ言われました。

 

── かなり激しい言葉ですね。

 

綾菜さん:加トちゃんの事務所にも1日200件くらいクレームの電話が来たり、自宅のポストが荒らされたり、他にも自宅の壁の落書きや無言電話も続いて何回か引っ越しもしました。さらに私の父が漁師で母がホステスだったとか、お金に困って娘を売ったとか、私がどこかの高級クラブに勤めていたとか、こんなこと書く…?というくらい、ありとあらゆる話が書かれていました。

 

当時、私は日本料理屋で働いていましたが、お店にも迷惑がかかるので辞めましたし、私が通っていたネイルサロンにまで嫌がらせがあって、警察に相談したこともありましたね。世界中から嫌われているような気がしました。

 

── バッシングを受けているとき、旦那さんはどうしていましたか?

 

綾菜さん:私はツラいなって毎日思っていたけど、加トちゃんはいっさい動揺しているように見えなかったんです。苦しいのは自分だけかと思うと、加トちゃんに対して不信感を抱いたときもありました。でも、結婚から10年以上経って当時について聞いたら、「あのときが一番苦しかった。長い芸能生活の中で一番苦しかったし、自分の好きな人が叩かれるのは何よりツラかった」って言っていたんです。加トちゃんもすごい悩んでいたけど、あえて普通でいることが優しさだったんだと知りました。

 

── バッシングが理由で、旦那さんと距離を置きたい、または離婚を考えたことはありましたか?

 

綾菜さん:幸せになるはずだった結婚なのに、なんでこうなるんだろう。これだったら別れたほうがいいよねって言ったことはありました。本心だったか分からないですが、一瞬頭をよぎったのはたしかです。でも加トちゃんから「10年忍耐だよ。このバッシングも10年我慢したら認めてもらえるから、言い返したりしないほうがいい」って言われたんです。特に言い返したことはなかったですが、そう言われてグッと堪えました。

加トちゃんに当たったところで意味がない

加藤綾菜

── 10年は長く感じますが、どうやって気持ちを保ちましたか?

 

綾菜さん:芸能界でこんなに叩かれた人っている?ってくらい叩かれましたけど…。加トちゃんには、「人生いろいろあるけど、何が起きても動じない人間になると強いよ。綾にもそうなってほしい」と言われました。

 

母には、自分という存在は素晴らしい存在なんだ。だから絶対自分のことを卑下しちゃいけないよ。みんなが綾ちゃんのことを嫌な女と言っても、私は綾ちゃんのこと信じてるからって、いつも言い続けてくれました。

 

それでも毎日苦しいじゃないですか。はじめは苦しいことから逃げて、だんだんご飯が食べられなくなって10キロ以上痩せたし、夜は眠れず睡眠薬を飲んでいた時期もありました。でも、途中から自分の苦しみに向き合おうと思ったんです。加トちゃんでもない、自分自身の問題でもあるから、加トちゃんに当たったところで意味がない。

 

そこで自分で自分に問いかけたんです。今、自分はどんな気持ちなのか。どんな感情なんだろうって問いかけたときに、いろいろな感情が溢れてきてめちゃくちゃ泣けたんですよ。今、私はとても苦しい。苦しい、苦しい、苦しい…。でも、苦しいけど頑張ろうって徐々に思えてきて。苦しいってわからずに頑張るから空元気だったけど、自分の気持ちがわかったときに、少し落ち着いてきたような気がします。

 

さらに人に言われて嬉しい言葉を自分に言って、自分を安心させました。「綾ちゃん、今は苦しくても大丈夫だよ」「いつか夫婦で認められるようになるし、2人で堂々と手を繋いで歩けるようになるよ」。するとホッとして、自然に大丈夫だと思えるようになっていきました。

 

誰かに励ましてもらうのはもちろん嬉しいし、頑張ろうって思います。でも、自分で自分を励ませる人間になったら最強だなって気づいたんです。

バッシングよりツラかった過去

加藤綾菜

── バッシングを受けても気にならなくなっていったのは、中学時代にイジメにあったと聞いていますが、その経験も影響していますか?

 

綾菜さん:バッシングより中学のイジメのほうがツラかったと思います。中学は学校がすべてで逃げ場がなかったから。すごく理不尽な理由でイジメられたんです。仲良くしていたメンバーと帰り道にラーメンを食べて帰ろうとなったんですけど、1人の子が食べたくないって言ったんです。「そっか、じゃあ私だけ食べて帰るね」って言ったのがきっかけでした。「綾ちゃん、いつもラーメン食べて帰ろうとかウザイ」って言われて、もうアイツと一緒に帰るのはやめようってなったみたいです。

 

そこからどんどんイジメに発展して、いつしかクラスメートから無視されるようになっていきました。お昼ご飯は気まずいので1人で体育館の裏で食べてたんですけど追いかけられて。トイレなら絶対大丈夫だろうと思ってトイレで食べていたら、そこでも気づかれて上から水をかけられたこともありました。当時、私の母は再婚前でシングルマザーでしたが、せっかく母が作ってくれたお弁当をグチャグチャにされたこともありましたね。

 

── お母さんは、綾菜さんがイジメにあっていたことを知っていたんでしょうか?

 

綾菜さん:ある日、私が何か嫌がらせをされて学校で倒れたんです。先生が母に電話したときに、そこで初めて母が、私がイジメにあっていることを知りました。それまで母に言えなかったんです。申し訳なくて…。母は、学校行かんでもいいよって言ってくれましたが、私は行こうと思いました。なんでそう思ったのか今でもよく分からないけど、1日だけ休んでちゃんと行くことにしました。

 

母はお弁当と一緒にいつも長文の手紙が入れてくれました。「綾ちゃんは素晴らしい人だから、絶対自分を卑下しちゃいけないよ」と毎日、毎日母から手紙が入っていて、私はずっとイジメられていましたけど、自分をいらない存在だって思ったことはなかったです。

 

はじめはみんなのことが憎い憎いって許せなかったんです。母に、学校に行っても誰にも挨拶もしないし、存在を消して、黙って座ってるって話をしたら、勇気は出るものじゃなくて出すものだから。綾ちゃん、勇気を出さんといけんよって言われました。そうか、自分でも頑張ってみよう。そう思って、毎朝教室に入るときに挨拶しようと決めました。はじめは手も声も震えるしうまくできなかったけど、毎日、毎日挨拶を続けました。誰も返してこないのに。

 

でも、少しずつ自分の中で何かが変わってきたんです。なんとなく、自分に勝ったなって思えるようになってきた。そう感じてきたときに、イジメた子たちに対して、この人らも何かで苦しんでるのかな、ツラいと思ってるんかなって、イジメた子たちを心配している自分がいたんです。母が、人を変えるのは難しいけれど、自分が変わったら周りも環境も見方が変わるって言っていた意味が初めてわかった気がしました。

 

今思えば、そのときの経験が自分の中で根づいていたのかもしれません。

 

今、イジメにあっている人がいたら、場合によっては逃げても全然いいと思います。ただ、自分の中でイジメの経験は本当にツラかったけれど、物事の考え方や生き方も学んだし、もしかしたら人生の基盤みたいなものにもなっているかもしれません。

 

PROFILE 加藤綾菜さん

1988年生まれ。広島県出身。2011年加藤茶と結婚し、45歳差の夫婦としても話題。

 

取材・文/松永怜