19歳で演歌歌手としてデビューした青山新さん。爽やかなルックスと抜群の歌唱力で注目を集めています。5歳から慣れ親しんだという演歌とデビューまでの道のりを伺いました。(全2回中の1回)
演歌好きな幼少期
── 小さい頃から演歌に触れていたそうですね。
青山さん:おばあちゃんがカラオケ教室に通っていて、その練習で門倉有希さんの「ノラ」をかけていたんです。それを5歳の時に聞いて、僕も覚えて歌っていました。
小学生になってからモノマネ番組が好きで観ていたのですが、コロッケさんが演歌歌手の方のモノマネをしているのを観て、だんだんと演歌に興味を持ち始めました。そこから八代亜紀さんの大ファンになって、昭和歌謡の特番などをよく録画して観ていましたね。
── いつ頃から歌のレッスンを始めたのでしょうか。
青山さん:小学4年生頃から祖母のカラオケ教室の先生に教えてもらうようになり、カラオケ大会にも出始めました。最初はそこまで打ち込んでいたわけではなく、サッカーや勉強の息抜きに歌う程度でした。でも、大会の出場回数なども増えていくうちに、だんだんと人前で歌うのが心地良くなってきて、「歌手になってみたい」と思うようになりました。
── 演歌好きの小学生、学校でも目立ちそうですね。
青山さん:J-POPなども耳にはしていましたけど、やはり好きなのは演歌で、ふとしたときに口ずさんでいました。学校でも休み時間に演歌を歌っていると、「なんていう曲なの?」と同級生に聞かれて。
その子が家に帰って演歌を口ずさんで、お母さんが驚いたというエピソードもあります。学校でも演歌が好きな子として知られていたと思います。小学校の頃は目立ちたがり屋で、積極的に前に出ていましたし、活発な子でした。
── 変声期はどう過ごしていましたか。
青山さん:僕はまったく歌わなかったです。声がうまく出なくなって、変声期だろうなとは思いつつも、喉に何か異変があったら大変だと思って一応病院に行きました。そこで先生からあまり歌わない方がいいと言われて。小学6年から中学に入るタイミングで、丸1年、まったく歌いませんでした。
── 歌わないストレスはありませんでしたか。
青山さん:これまでずっと歌っていたので、今は休む時期かなと思ったらそんなに苦ではなかったです。それに歌っても、思うように歌えない方がストレスでした。これが終わったら歌えるぞ、と思って体力を温存していた形ですね。
1年くらい経って、そろそろいいかなと思って歌い始めたのですが、そこで出場した大会でスカウトしてもらったので運が良かったのかもしれません。
── すごいタイミングですね!
青山さん:中学2年の時に出たカラオケ大会で優勝して、その時の審査員だった方に声をかけていただきました。師匠である作曲家の水森英夫先生を繋いでくださって、自宅でのレッスンが始まりました。そこから高校時代も、学業と歌に専念していました。
デビュー決定で「一番喜んだのは祖母」
── デビューはいつ頃決まったのでしょうか。
青山さん:事務所やレコード会社の方々に何度も歌を聴いていただく機会はあったのですが、いつも通り、先生とレッスンしていたとき、急に「デビューが決まったよ」とご報告いただいて。先生とレッスンを始めて5年が経った頃でした。
はじめはびっくりしましたけど、嬉しかったですね。でもその嬉しさの反面「大丈夫かな」という不安も大きかったです。先生の表情もそこから変わりましたし「いよいよこれからが本番だ」という思いでさらに気を引き締めました。
先生には歌以外にも指導いただいていますが、スターになるには才能と半分以上が忍耐だとおっしゃっていて。その言葉がすごく頭に残っていて、実はスマホのロック画面も“忍耐”にしています(笑)。
── デビューの報告はどなたにしましたか。
青山さん:まず家族に報告しました。喜んでくれて、「頑張ってね」と応援してくれました。でも、やはり一番喜んでくれたのは、おばあちゃんでしたね。デビューの報告をしたときは、うるうるしていました。
── 可愛いお孫さんのデビューは、喜びもひとしおだと思います。
青山さん:73歳なんですが、現役美容師で。見た目も気を遣っていて、イベントにも来ていますが、よく「若いね」と声をかけられています。店でも僕の曲をかけて、壁中ポスターやグッズで埋め尽くされています(笑)。たまに店に顔を出して、一緒に食事に行くこともありますよ。
── 自慢のお孫さんでしょうね。青山さんは小さい頃から八代亜紀さんのファンだそうで。
青山さん:高校受験を控えた中学3年生のときに、八代さんのコンサートがあったんです。部活も引退して塾に通って、勉強漬けの日々でしたが1日くらい良いかな、と自分へのご褒美にコンサートに行ったんです。
開園してイントロが流れて、八代さんが登場した瞬間、涙が止まりませんでした。八代さんの姿を拝見しただけで号泣してしまって。そこからコンサートが終わって帰る頃には、「よし、これから受験に向かって頑張ろう!」と心から思えたんです。元々大ファンだったこともありますけど、なんだか背中を押してくださったような気がしましたね。
デビューしてからお会いする機会もありますが、どなたに対しても平等に優しく接してくださって、周りを明るくしてくれますし、歌手としても人としてのお手本でもあります。僕も八代さんのように、誰かを勇気づけられる歌い手になりたいと思っています。
PROFILE 青山 新さん
幼い頃から祖母の影響で演歌・歌謡曲に親しむ。中学2年で出場したカラオケ大会で関係者の目にとまり、作曲家の水森英夫先生に弟子入り。2020年2月テイチクエンタテインメント創立85周年・芸映創立60周年記念アーティストとして「仕方ないのさ」でデビュー。
取材・文/内橋明日香 写真提供/青山新