80歳からインスタグラムをはじめ、現在83歳とは思えないスタイルやおしゃれなファッションが話題を集めているモデルの平子理沙さんの母、禧代子さんに若さの秘訣についてお話を伺いました。
インスタグラムは「生きがい」
── 投稿しているコーディネートやご自宅のインテリアが素敵ですが、インスタグラムを始めたきっかけはなんでしたか。
平子さん:娘の理沙がインスタグラムをしているのは知っていたのですが、私も前からしてみたいなと思っていたんです。自分の思いを文章にして書いてみたいなって。
83歳になりましたけど、おしゃれをしたい気持ちや人を心から愛してかっこよく生きたいという気持ちは若い方には負けないつもりです。
── コメントにもていねいに返事をしていますね。
平子さん:80歳から始めて、今では生きがいのひとつになっています。だんだん操作も覚えてきてお返事をするようになったのですが、皆様がくださる愛あるメッセージは涙を流しながら読んでいます。お返事を書くのに深夜までかかることもありますが、そのときの気持ちの豊かさといったら、「生きていてよかった」って。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
こんなにたくさんの愛をいただけるなんて、インスタグラムを始めてよかったと思っています。いつか皆様と直接顔を合わせてお話ししてみたいですね。そして皆様にハグしたいわ。
── お話していてもまったく年齢を感じません。
平子さん:気持ちはそうかもしれないけれど、見た目はそんなことないのよ。顔はシワだらけ。でもいいの、私の顔は83年間の喜び、悲しみ、苦しみ、ぜんぶ含まれている。もう、このままで貫きますよ。
肌のケアでいうと、エステも行ったことがなくて厚化粧で頑張っています。肌が綺麗だと言われるのは母譲りでラッキーでした。でも、自分のことを鏡で見ると怖いわよ。でも鏡さえ見なければ、いつまでも若いつもり。
運転をしていてもね、若者が乗った車が横に来ると私がおばあさんだとわからないみたいで。私はサングラスをしているし、窓ガラス越しでしょう。「Hi!」なんて声をかけられるので私も「Hi!」なんて返して、じゃあね〜って。心の中では「バカねぇ、83歳のおばあさんなのよ」なんて思いながらね(笑)。
── インスタグラムのフォロワーさんからいろいろと質問をされるそうですね。
平子さん:スタイルはどう保っているのですかとよく聞かれるのですが、「83年間で蓄積してきた宝物をうまく隠しているのよ」とお返事しています。手足が細いので、スタイルよく見えるかもしれないのですが、そんなことはなくてファッションで工夫しているんです。
結婚してモデルをしたあとに長男を産んで、そのあとは体型もすぐ戻ったんですが、理沙を産んだあとはなかなか戻らなくて悲しかったわ。昔は今のようなエクササイズもなかったの。でも年齢を重ねたらだんだん痩せてきました。
── 雑誌から飛び出してきたようなファッションが素敵です。
平子さん:ファッションは、上手にコーディネートするのがおしゃれだと思っているの。まずは自分をよく知ることから。自分に合うものと流行りのファッションも少し取り入れてね。
私はよくレギンスを履いているんですが、1本10ドルくらいのもあるのよ。基本的に無地が好きで、黒のインナーは自分に合うものを見かけたら1ダースくらい買います。ブランドのものと組み合わせて私なりのおしゃれで着ています。
── まさかその値段のお洋服には見えません!
平子さん:モールを歩いていると、通りすがりの人から「失礼ですが、これはどこで買ったんですか」と聞かれることもあるんです。「これはあの店で9.99ドルだったのよ、まだあると思うわ」と何も隠さず伝えています。ヘアスタイルについても聞かれることが多いのですが、これは自分でしているの。自宅で白髪を染めて、ハイライトも入れて。
なぜ自分でするようになったかというと、飼っていた愛犬のキャンディを家に置いていきたくなかったの。ヘアスタイリストの方から材料を買わせていただいて自分で始めたのですが、キャンディが亡くなった今でも習慣になっています。
習ったことはないので自己流ですが、編み物もしますし洋服も縫います。子どもたちが小さいときは、よく洋服を作っていましたね。なんでも自分でするのが大好きなの。インテリアも料理もオシャレも大好き。
83歳ひとり暮らしの今
── 日本に海外のネイルアートを広めたパイオニアとして、日本ネイリスト協会の特別名誉審査員をされたり、功労賞の表彰を度々受けられたりしたと伺っております。
平子さん:今はもうネイルのお仕事はしていないのですが、個人的にはずっとネイルを楽しんでいます。爪に何もつけていない状態でいることはまずないわね。
ゴミを捨てに行くときも必ずメイクをして行きます。メイクしないで行ったら「あれ?平子さん、どこですか」なんて思われちゃう(笑)。メイクは身だしなみだと思ってしていますが、私にとっては当たり前のことなので苦ではないんです。
朝起きて、朝食をいただいたらメイクをします。朝が来たら悲しい顔とお別れして、楽しみを感じられる顔になってから今日一日が始まります。夜が来たら、寂しいけれど元の自分の顔に戻って、また翌朝を楽しみに待ちます。そんな過ごし方をしていますよ。
── 今はひとり暮らしをされているそうですね。
平子さん:8年前に彼(夫)が亡くなって、ひとりで暮らしています。ひとりは寂しいけれど、自由で素晴らしい。親友もお友達もたくさんいますしね。最後までひとりを貫いていこうと思っています。でもどうなるかな。
死ぬのは全然怖くないんです。でも自分がこのリビング、このキッチン、このベッドルームからいなくなると考えると寂しく感じるときはあります。それに、自分がいなくなるって不思議よね。
でも死を越えれば楽になるかなとも思います。人間は生きている以上、置かれた立場に関係なく誰もが何かしら問題を抱えていると思うのね。でも、そういうものがなんにもなくなるって、楽になるんじゃないかしら。死はいつか必ずみんなに平等にやってくるものだから受け入れないとね。
── 旦那さんとはとても仲がよかったそうですね。
平子さん:旦那さんや主人と言う方もいらっしゃいますが、私がずっと彼と呼んでいるのはお互いにかっこいい、素敵なところを見せていたかったから。いつも恋をしているみたいにね。子どもの前ではパパ、ママと呼んでいて、あるときは子どもの父親と母親、夫と妻でしたが、私にとってはずっと彼、ボーイフレンドです。
8歳上の彼はとてもダンディで、車のドアを開けてくれたり、エスコートをしてくれたり。とっても優しくて私をよく理解してくれていました。
人生で初めておつき合いしたのが彼で、初めて手を繋いだのも彼。最初で最後の彼でした。子育てをしながら仕事をしていたのですが、彼と子どもたちには負担をかけないように睡眠時間を削ってでも料理などをしていました。仕事で数日空ける時は作り置きをして、手料理を貫いてきました。大変だったけれど、今振り返ってみると楽しい思い出になっています。
見た目が派手に見えるみたいで「ご飯炊けるの?」なんて聞かれたこともあったのですが、カラオケに行ったこともないし、ダンスパーティにも行ったことがない。家のことと仕事、子どもたちと彼にありったけの愛をあげて生きてきました。
彼とは時間があればデートをしていました。子どもたちが高校生になってもデートをしていたのよ。でも、彼と会っていたホテルのロビーで会社の方に目撃されていたようで、「若い女の子と会っている」と噂になったことも。でも、場所や時間を聞くとそれ私なのよ(笑)。
── 素敵な関係ですね。
平子さん:夫と妻、父親と母親だけではちょっと悲しいわよね。彼から毎日、「今から会社を出るよ」と連絡があると、綺麗にしてかっこつけて待っているんですけど、まず子どもたちが「おかえり〜!」と言って彼に飛びつくんですね。でもそこを私が、「私がいちばんなのよ!」って言って横取り(笑)。
私の思いで、最期は海に流してと子どもたちに頼んであるのですが、それを聞いた彼も「僕もそうしてほしい」と言ったので、8年前に亡くなった彼の骨を太平洋に流しました。ベンチュラから船に乗って遠くまで行ってね。私もそのときが来たら、彼と一緒に波に乗ってまたふたりで世界を旅したいわ。
もう一度生まれ変わっても彼と結婚したい。そして同じ子どもたちでいい。同じ悲しみ、喜びを味わっていいからもう一度出会いたいと思います。
あとどれだけの時間があるかわからないけれど、一生懸命思いをこめて人を愛して、人の愛に感謝して、おしゃれをしてキラキラ輝いて生きていきたい。今日という日は2度と来ないからね。命が絶ったときには夜空の星としてスタイリッシュに光るつもり。たまに皆様、夜空を見上げて手を振ってね。
PROFILE 平子禧代子さん
米・ロサンゼルス在住。モデル、ファッションデザイナーとして活動したあと、海外のネイルアートを日本にネイルアートを広め、技術指導や講演を行う。ロスにてオーガニックの食品会社を設立。国内外でテレビ、雑誌、ラジオの出演経歴を持つ。
取材・文/内橋明日香 写真提供/平子禧代子