お笑いタレントとして一世を風靡した野沢直子さん。人気テレビ番組『夢で逢えたら』を降板したのは、アメリカで自分の実力を試したかったからだといいます。渡米後、アメリカで出会った彼との結婚や、結婚と離婚を繰り返した破天荒な野沢さんのお父さんとのエピソードとは?(全5回中の1回)
人気絶頂の番組降板も本人は…
── 野沢さんは、日本のお笑い界で人気絶頂のときに、コント番組『夢で逢えたら』を降板。渡米されましたね。
野沢さん:まわりの人は「人気絶頂だった」といってくれますが、私自身はまったく逆に感じてて。私は、芸能界に入って3か月で売れ始め、3年目で『笑っていいとも!』に出演したり、とんとん拍子で来たんです。思いつきでやったネタは毎回ウケるし、自分でも「私、絶対におもしろいわ」と思っていました。
『夢で逢えたら』も「いつものノリでやればいい」と臨んでいましたが、一緒に出演するダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコさんたちの実力が想像以上に高かった。それまでは無意識にできたことが、考えて行動するようになってしまって、どうリアクションしたらいいかわからなくなってしまったのです。
── アメリカ行きを決めた理由は?
野沢さん:「一度、本気でお笑いについて勉強しないと」と思ったものの、とにかく毎日スケジュールが詰まっていて、なにもできない。「こういうとき、ドラマだったらニューヨークに行くよね。だったら私も挑戦してみよう!」と思って番組を降板。91年に単身ニューヨークに渡りました。
── 野沢さんは、当時から英語が話せたのでしょうか?
野沢さん:それがまったく話せなかったです(笑)。日本では家庭教師をつけて、渡米してから現地の語学スクールにも通ったのに話せないまま。思いきって通っていた語学学校を辞めて、発音やスピーチを教えてくれる別の、アクティングスクール(俳優養成所)の発音を教えているクラスに変えてみたんです。教室にはいろんな国の生徒がいて、文法が間違っていても、発音が多少おかしくても、とにかくよくしゃべる。
修行のためにニューヨークに来たんだと思って息巻いていたこともあり、とにかく舞台に立てる場所をと思って見つけたのが「オープンマイクス」です。
── オープンマイクスとはどのようなところですか?
野沢さん:ニューヨークの街中にあるコメディクラブです。舞台が用意されていて、芸を披露したい人は、会場に設置されたノートに名前を書けば、誰でも出演できます。
── 英語が話せなくても舞台に立てるんですか?
野沢さん:舞台ではスタンダップ(漫談)が主流です。でも自分では「とにかく修行しないと!」という焦りもあり、言葉がしゃべれなくても舞台に立ちました。必死だったからできたけど、今だったらその度胸はないかもしれませんね。
猿の着ぐるみではじめまして
── 旦那さんのボブさんとはどのように出会われたのでしょうか?
野沢さん:アメリカにいって1、2年した頃、お互い別のバンドに所属していて、たまたま同じステージに立ったんです。
── お互いの第一印象などは覚えていますか?
野沢さん:彼と初めて会ったとき、私は猿の着ぐるみを着ていたし、彼は彼で裸でボディーペインティングしてパフォーマンスをしてたんですね。だから第一印象もなにもないんですけど(笑)。そこからバンド同士の交流が生まれて、次第に彼と私も親しくなっていきました。
── その後、彼とつき合うことに…。
野沢さん:彼とつき合って3日目。なぜか私の頭のなかで結婚式のウエディングベルの音が聞こえたような気がしたんです。彼に「私たち、結婚したらいんじゃない?」と言ってみたら彼がすごく感動してくれて。それから3か月後、ニューヨークで婚姻届けを出しました。
人生は映画じゃないんだ
── 野沢さんのご両親にはどのように伝えましたか?
野沢さん:母はすでに亡くなっていたので直接伝えられなかったんですが、父には「結婚するね。相手はアメリカ人」とだけ伝えました。
ただ、私の母が亡くなってから、父は別の女性と3回も結婚と離婚をしているんですよ。外国人の女性と再婚したこともあります。そのため「結婚について、父親には何も言わせない」と思っていました。
ただ、さすがに「つき合って3日で結婚を決めた」といったら怒るかなと思い、3日ではなく1週間だと伝えました(笑)。
── お父さんの反応は?
野沢さん:父の第一声は「人生は映画じゃないんだ!」でした。つき合ってすぐ、海外で見つけた相手だったからでしょうか。ただ、そうはいっても、父の人生も映画やドラマ並みか、もしくはそれ以上にすごいです。父の人生のほうが映画みたいだと思うんですけど(笑)。
── 野沢さんの弟さんやご親戚の方の反応はいかがでしたか?
野沢さん:アメリカ人と結婚するということで、すごく驚かれました。ただ、弟はもちろんのこと、みんな祝福してくれて。さらに結婚してすぐに子どもを授かったこともあり、ダブルで「おめでとう」と言ってくれました。
今振り返ってみれば、28歳のとき「行き詰まり」を感じて仕事を辞め、アメリカに行ったことは正解だったなと思います。当時はとにかく「舞台に立たないと」「経験を積まないと」と思い、必死でした。あの経験があるからこそ、アメリカでもお笑いに挑戦できたんだと思います。
結果的にアメリカで夫にも出会え、家族にも恵まれました。今になれば、あのときの決断は良かったのかなと思っています。
PROFILE 野沢直子さん
東京都出身。超人気コント番組『夢で逢えたら』などに出演。人気絶頂期に渡米を決意。アメリカ人の彼と国際結婚し現在アメリカ在住。長女は格闘家の真珠野沢オークレアー。『老いてきたけど、まぁ~いっか。』(ダイヤモンド社/野沢直子)。
取材・文/間野由利子