「当時は20歳を過ぎ、アイドルとしての将来を考えるタイミングでした」。AKB48・JKT48でアイドル活動をしていた近野莉菜さんは現在キャリアチェンジし、女性アパレルブランドのプレスとして活躍しています。アイドル時代に経験した大きな転機──日本を離れる決断をした背景やジャカルタでの苦労について、お話を聞きました(全4回中の2回)。

 

元AKBの近野莉菜さん
キャリアチェンジだけでなく、アイドル時代にも大きな転機があった近野さん

ジャカルタ行きのオファーをほぼ即決

── 2014年にAKB48から、インドネシアのジャカルタで活動する姉妹グループ・JKT48に移籍。オファーがあったときは、どう思いました?

 

近野さん:相談をいただいてわりとすぐ、「行きます!」という感じで、ほぼ即決でした(笑)。

 

── 大胆ですね(笑)。

 

近野さん:AKBに6年いて、そろそろ次のステップを考えるなか、選択肢として「留学もしてみたいな」と思っていた時期だったんです。具体的に行き先を考えていたわけじゃなかったので、国は本当にどこでもよくて。

 

上海のSNH48も候補としてはありましたが、上海はビザのハードルが高く、活動が進んでいなかったこと。インドネシアは親日家が多く、先に活動していた仲川遥香ちゃんが成功していたので、「JKT48なら」と思えたところも大きかったです。

 

元AKB48の近野莉菜さん
現在はアパレル会社マッシュスタイルラボでプレスとして勤務

── ご両親など、周囲に反対されませんでしたか?

 

近野さん:完全に事後報告で、両親には大反対されました。でも自分で決めたことですし、「これをやりたい!」と思ったら突き進む性格なので、反対されても揺らがなかったです。

 

事後報告ということでは、実は事務所にも事後報告で…。

 

── そんなこと、あります?(笑)事前に相談しなかったこと、事務所の方に怒られたのでは?

 

近野さん:「えー!ジャカルタ!?」と言われた記憶しかないのですが、怒られました、たぶん(笑)。

 

周りのみなさんは大人なので、恐らく運営サイドの方が事務所にあらかじめ「こういうオファーをする」と、話していたのではないでしょうか。今では自分でも「そんなやり方するなんて、信じられない!」と思いますが、当時はちょっと反抗期(笑)みたいな感じでしたね。

呪文にしか聞こえなかったインドネシア語

── 研究生時代には未経験のダンスに苦労されましたが、ジャカルタではインドネシア語を覚えるまで、かなり大変だったそうですね。

 

近野さん:AKB48の海外公演でロシアやシンガポールには行きましたが、インドネシアに行くこと自体が初めて。現地の語学学校に入る予定があり、準備期間に事務所が手配してくれた先生に週1で3回くらい発音のレッスンを受けただけで、ジャカルタへ行きました。

 

日本でも現地の学校でも、教えてくれるのは敬語などの丁寧な言い回しの言葉のせいか、全然覚えられなくて…。習っていても、呪文にしか聞こえないんです。

 

── 旅行くらいならどうにかなっても、生活しながら仕事もするとなると困るし、その状況が続くと追い詰められますよね。

 

近野さん:本当にJKT48入りの決断の深刻さを感じたのは、行ってからでしたね。ほぼ即決とはいえ先々のキャリアなど、きちんと考えたうえで決めたつもりでも、「軽く考えていた…」と覚悟のたりなさを痛感させられました。

 

半年くらいインドネシア語が上達しない状態に追い込まれたせいか、わからない自分にもイライラし、呪文どころか話しているのに、言葉が耳に入ってこない。脳がインドネシア語をシャットアウトするようになりました。

 

元AKB48の近野莉菜さん

── それは相当なストレスです。その状況をどうやって、脱しましたか?

 

近野さん:そのころ語学学校のレッスン予約が取りにくくなって、思いきって退学。その代わり、現地メンバーと遊びに行くなど、一緒に過ごす時間を増やすようにしたんです。

 

学校で教わる丁寧な言葉は入ってこないけど、彼女たちが使うカジュアルな話し言葉や若者言葉は、わりとすんなり覚えられて。時間がかかりましたが、公演のMCでも掛け合いができるようになるなど、だいぶ話せるようになりました。

 

それにメンバーがすごく助けてくれて、テレビ出演では司会者やほかの出演者の質問が早口で聞き取れないと、「こういうことを聞いているよ」と教えてくれたり、的確な言い方を思いつかない部分をフォローしてくれたり。チームで活動していたから、どうにかできた場面が多かったと思います。

 

── それは心強いですね。

 

近野さん:でもたまに、ひとりで出演する番組もあって…。旅番組や料理番組にひとりだけ呼ばれ、かなりガッツリ収録しましたが、番組のオンエアを観ていないので、自分でもどう乗りきったのか…全然わかりません(笑)。

ジャカルタで本場のAKB48文化を伝える役割

── AKB48では研究生から、正規メンバーとして途中加入。JKT48も同様に途中加入ではありますが、役割は違ったかと思います。

 

近野さん:ジャカルタでの私の役割は、現地メンバーにAKB48の文化を伝えること。AKB48グループのアイドルとして、ファンとどう接するかなど、実際の行動も含めて伝える面があったと思います。

 

それに私が在籍していたころのJKT48はオリジナル楽曲がなく、AKB48など姉妹グループの曲をカバーして、公演を行っていました。だから、本場のAKB48でパフォーマンスをしていた立場から、正しい振りつけを教えたり、細かい部分など「ここはこうしたほうがいいよ」とアドバイスすることも多かったです。

 

元AKB48の近野莉菜さん
アイドル時代と変わらないキラキラの笑顔

── 日本との文化が違いに、戸惑うことはありましたか?

 

近野さん:戸惑いはありませんでしたが、宗教の面では文化の違いを感じましたね。

 

インドネシアはイスラム教徒が多い国で、肌の露出が多い衣装はNG。断食をするラマダンの期間1か月くらいは公演ができないので、その間は公演の代わりに2~3曲ほど披露する、小規模なイベントをやっていました。

 

メンバーにはイスラム教徒だけじゃなく、クリスチャンの子などもいて、宗教や宗派によって考え方はさまざまです。

 

日本にいると意識しませんが、いろいろな宗教があって、さまざまな文化がある。そうした世界に触れることができたのは、すごく勉強になりましたし、視野が広がる大きな学びだったと感じています。

 

PROFILE   近野莉菜さん

1993年東京都出身。2007年「AKB48 第二回研究生(5期生)オーディション」に合格し、AKB48、JKT48で活躍。2018年にAKB48グループを卒業し、芸能界を引退。現在はアパレルブランドのプレスとして働いている。

 

取材・文・撮影/鍬田美穂 画像提供/近野莉菜