9年間の医学部浪人生活の末に母親を殺害し、損壊した遺体を遺棄した容疑で逮捕された娘の半生をたどるノンフィクション『母という呪縛 娘という牢獄』(講談社)が異例の注目を集めています。元共同通信記者で、著者の齊藤彩さんに詳しくお話を伺いました。

 

学歴信仰に囚われた母親から追いつめられる過酷な日々から、犯行に至るまでの心境や死体遺棄後の様子まで限度を超えた勉強を押しつける「教育虐待」が発端となった事件の背景を克明に描き出した書籍は、SNSなどで大きな反響を呼び、発売からわずか2か月で第5刷が決まりました。齊藤彩さんは獄中の娘と膨大な量の書簡を交わし、“二人の合作”としてこの本を書き上げました。

教育虐待のすえに母を刺殺した事件とは

2018年3月10日、滋賀県守山市の琵琶湖近くの河川敷で、両手、両足、頭部のない体幹部だけの遺体が見つかりました。遺体は腐敗が進んでおり、捜査に難航したものの、のちに近くに住む50代女性のものと判明します。

 

女性は20年以上前に夫と別居し、31歳の娘とふたり暮らしでした。さらに、進学校出身の娘が9年間の浪人生活を送っていたことも判明。事件から約3か月後、警察は死体遺棄容疑で娘を逮捕。その後、死体損壊・殺人容疑で逮捕、起訴に至りました。

 

イメージ写真(PIXTA) 

遺体が見つかった翌月に入社した齊藤さん。翌々年の夏に、初任地の新潟支局から司法担当として大阪社会部に異動。初めて事件に触れたのは、2020年11月に開かれた二審の初公判だったといいます。

 

「実は大阪に異動するまでは事件の存在すら知らなくて、裁判自体もルーティンワークのひとつという位置づけでした。記事にする予定もなかったので、初公判のときはそこまで予習もしていなくて。『何かあるかもしれないから一応見ておこうかな』くらいのテンションで傍聴に行ったんです」

 

大津地裁での一審では、娘は死体損壊・死体遺棄罪について認めたものの、殺人罪については「母は包丁で首を切りつけて自殺した」と主張していました。ところが、控訴審では「罪と真摯に向き合おうと思った」と述べ、一転して母を殺したことを認めたのです。

筆者自身の体験が取材を進めるきっかけに

裁判の被告人質問では、進路や生活ぶりに過度に干渉する母から、土下座の強要や罵倒など「教育虐待」を受けていたことが明らかになりました。控訴審が結審すると弁護士を通じて、自身の心境をつづった文書を公表。齊藤さんはそのなかにあった「母の呪縛から逃れたい」という一節に強く引きつけられたのだそうです。

 

「この事件を深く知りたくなった理由のひとつには『加害者の視点に立って事件を見てみたい』との思いがありました。それまでいろんな事件を取材していましたが、どちらかというと被害者側に話を聞く機会が多かったんです。その一方で、どんな経験や出来事が人を加害者たらしめたのか、事件の背景に踏み込みたいという気持ちもあって。裁判のなかで『母の希望に応えようとするがあまり苦しんでいた』ということが明らかになり、もう少し深掘りしたいという気持ちが芽生えていました。

 

もうひとつは個人的な理由なのですが、私自身にも娘さんと似たような過去があったんです。彼女の母親ほどではないのですが、私の母も干渉が強いタイプで、大学進学を巡って揉めたことがありました。自分ごととして事件を捉えていた面もあり、決して彼女の家庭だけが特殊だったのではなく、多くの家庭に『予備軍』が潜んでいる、わりと普遍的な問題なのではないかと考え始めたんです」

 

控訴審が結審した約1か月後、齊藤さんは娘と面会すべく大阪拘置所を訪ねました。狭い面会室で、アクリル板越しに対面した娘は「理路整然と丁寧にコミュニケーションを取ろうとする人。市井の人々とかなり地続きの感覚を持っている」(齊藤さん)という印象だったそうです。

 

この初対面を機に、齊藤さんは1回15分の面会と手紙のやり取りを重ねます。2021年3月、事件についてまとめた1本のネット記事を配信。母親の過干渉により追い詰められていく過程をたどった5000字を超える大作には数多くのコメントが寄せられ、教育虐待の問題が注目される契機となりました。