獄中の娘から届いた159枚の原稿用紙

今回の書籍を出版するにあたり、齊藤さんは約1年半にわたる追加取材を行ったそうです。

 

「書籍化が決まったとき、彼女はすでに刑が確定していて刑務所に移送されていたんです。面会も何度か試みたのですが、親族など限られた関係者しか会うことができなくて、基本的には手紙でやり取りを重ねました。刑務所から1か月に送れる手紙の回数にも制限があるので、月に1回か2回ほど、質問を手紙にまとめて送っていました。

 

彼女から返ってくる文書には、質問への答えを書いた『原稿』と、私宛てに身の上話をつづった『私信』の2種類がありました。私信を除いて、届いた返事は400字詰めの原稿用紙で159枚になりますね。学生時代には小説を投稿していた経験もある方なので、すごく文章が上手いんですよね」

 

娘から送られてきた原稿の一部は、書籍にそのまま引用されました。テストで90点以下を取ると厳しく叱責されたこと、ヤカンの熱湯をかけられたこと、志望校の偏差値に満たないと鉄パイプで殴られたこと…。幼少期から長年に及んだ母親との過酷な生活が、生々しい筆致で映し出されています。

 

「とにかく彼女の見たもの、感じたものをすべて書いてほしいという気持ちで、かなり細かく質問を送っていました。たとえば『成人式には行きましたか』『行かなかったとしたらなぜですか?』という質問は、母親から受けた教育とは直接的に関係のないものではあったと思うんです。ただその質問によって成人を機に自立しようとしたのに叶わなかったことが分かって。彼女が置かれていた状況や成人前後の心境の変化を知るうえで必要な質問だったと思っています」

 

娘と直接顔を合わせることのできない状況下で、齊藤さんは「自分の質問の意図や思いが正しく伝わるのだろうか」との不安も抱えており、試行錯誤を重ねて取材を続けていたそうです。

 

イメージ写真(PIXTA)

「月に1回、彼女が手紙を送ってくれるのですが、その内容に対して『こういう気持ちだったんですね』と、私なりの解釈を書いて返信するようにしていました。質問を送るときも『なぜこの質問をするのか』という意図や背景まで書いていたので、一通書きあげるだけで2週間近くかかることもありましたね。それでも後から『この言葉の選び方はあまり適切じゃなかったかも…』と後悔して、五月雨式に“追い手紙”を送ることもありました」

 

書籍化についても手紙で相談を重ねたうえで、実現に至ったといいます。初めは渋る様子を見せていたものの、最終的には「この事件を知ってもらうことで同じように苦しむ親子の手助けになればいい」と思いが一致したそうです。

 

「かなり批判や炎上が激しくなるのではと気にされていたのですが、私の感覚としてはこの作品を評価してくださる声が予想以上に多くて驚いています。彼女自身も刊行する前に『出してよかった』と言ってくれて。原稿を書きあげる過程で、自分の体験を言語化することで過去を顧みれたし、離れて暮らしていた父親との関係もよくなったと言ってくれました。この本を出すことが彼女のためになればいいなという思いもあったので、その意義は達成されたのかなと感じています」