М-1敗者復活戦が転機に
── 実際に売れるきっかけになったのは?
山田さん:僕らが世に出るきっかけって、勝手にM-1グランプリだったという気がしてて。
2006年あたりの敗者復活戦がめちゃくちゃウケて、そこからテレビにちょこちょこ呼んでもらえるようになって。
当時は今のお笑い界ほど、コスプレキャラ芸人というか、コンビ全体で世界観をもってやるというネタがなかったんですよ。今はだいぶ増えましたけど。
当時は、お笑い界の暗黙の了解というか、しきたりというかがあって。髭を生やしたりも許されなかったんですよ。
── 髭もダメだったんですね。
山田さん:髭を生やし始めたときは、いろんな先輩に「汚い」「若いのに髭なんか生やして偉そうだ」と、反対されました。
シルクハットを被って「貴族です」とか言ってたときも、まわりからは「そんなんで売れるはずない。ふざけてたら怒られるで」みたいに言われて。
そういうしきたりを超える緊張感みたいなのは、すごいあったんです。今は、芸人がいろんな格好して、しかもいろんな格好をすればするほど「新しいキャラを見つけた」とかって褒められますけど、当時はヒゲひとつもハードルだった。
長髪も少なかったです。「芸人はきれいに髪を切って耳を出せよ、お客さんに失礼やで」みたいな空気の時代だったと思います。
PROFILE 山田ルイ53世さん
1975年生まれ。六甲学院中学に進学後、6年間のひきこもり生活に。大検(当時)を経て愛媛大学に入学後、中退。99年に「髭男爵」を結成。2008年「貴族のお漫才」でブレイク。エッセイやラジオなど多方面で活躍。
取材・文/市岡ひかり 撮影/植田真紗美