中学時代から28歳まで毎日カップラーメン生活

穏やかに当時を語る川嶋さん

── お母様が入退院を繰り返すなか、川嶋さんの生活はどうされていましたか?

 

川嶋さん:私が中学2年生になったあたりから、母はほとんど入院していました。私はきょうだいもいませんし、中学生にしてひとり暮らしに近い感じでしたね。

 

当時は、食生活もひどかったんですよ。今思えば、自炊したほうが安いし健康的だったと思いますが、食事はほぼ毎食カップラーメン…。100円でお腹いっぱいになるし、そもそもカップラーメンは大好きなので、苦痛ではなかったんですけど。

 

デビュー以降はまた別の話だとしても、カップラーメン生活は中学生から28歳くらいまで続きました。中学生のころは、昼は給食があったけれど、夜は毎日カップラーメンでしたね。

 

まぁ、今でも好きなんですけど(笑)

 

── 美味しいですよね(笑)。そういった状況のなかでも、音楽は変わらず続けていかれたのでしょうか?

 

川嶋さん:週2回歌のレッスンは、絶対に行ってました。小さな音楽教室ではあるんですが、定期的に月1、2回、イベントのようなものがあったんです。

 

あとは、土日のどちらかは東京に遠征して、歌のレッスンを受けに行きました。これは、いつもの音楽教室とは別に、母が東京のレッスン制の募集のお知らせを見つけてくれたんです。

 

── 福岡から東京に毎週通われたのでしょうか?

 

川嶋さん:中学生の頃、毎週日帰りで飛行機に乗って東京まで行ってました。交通費も自腹だったし、母は自分の体調が悪いなか、借金をしてまで行かせてくれたんですよ。

 

── なぜ、そこまでお母さまは熱心だったと思いますか?

 

川嶋さん:やっぱり私が初めて音楽教室で歌ったときの笑顔。歌が私の心を開放させてくれた、あの瞬間がずっと焼きついていたみたいです。

 

あとは、私と母は血の繋がりはないですよね。普段は親子でうまくいっていても、どうしてもその事実を思い出してしまう瞬間もあったと思うんです。そのときに、「私はこの子の母親なんだ…」って信じたい。そんな思いもあったのかもしれません。

 

確かに、私と母は血の繋がりはありません。でも、血を越えた愛というのでしょうか。それは、深く深く感じていました。

 

PROFILE 川嶋あいさん

1986年生まれ。福岡県出身。シンガーソングライター。2003年にI WiSHのaiとして人気番組の主題歌「明日への扉」でデビュー。2006年からは本格的にソロ活動をスタート。代表曲としては、「My Love」「compass」「大丈夫だよ」「とびら」などがある。

 

取材・文/松永怜 撮影/阿部章仁