3歳のときに、養子縁組として施設から川嶋家に引き取られた川嶋あいさん。3歳から歌のレッスンを始め、精力的に取り組んでいました。しかし、川嶋さんが10歳のころに父が亡くなり、母も入退院を繰り返していきます。借金をしてまで、音楽活動を続けさせてくれたのはなぜだったのでしょう。

1軒家の大きな家から小さなアパートに

── 3歳から音楽教室に通われたとのこと。歌を始めたきっかけは、何だったのでしょうか。

 

川嶋さん:人見知りが激しかった私を心配して、母が私を音楽教室に連れていったんです。何か心が開くきっかけになったら…って思ったみたいですね。

 

音楽教室の体験レッスンでは、私が歌を歌うと、いつもの泣き顔からすごく笑顔になったみたいなんです。母が、そのときの笑顔が忘れられないって、そこから音楽人生が始まりました。

 

── 川嶋さんのお母さまが、川嶋さんの歌にかける情熱も凄かったそうですね。

 

川嶋さん: 私が子どものころ、演歌を歌っていた時期もありましたが、どさ回りって言うんですか?母も一緒に、福岡の中洲の街を回ってくれたこともありました。

 

また、将来は歌の道に進むことを考えていたんです。母とは、小学校低学くらいから、中学校を卒業したら東京に行って、堀越高校の芸能コースに入ろうと話していましたね。

 

取材当日はグレーのカットソーを着ていた川嶋さん。パールの飾りが素敵

── 歌のレッスンが順調に進むなか、川嶋さんが10歳のころ、お父様が亡くなってしまったとのこと。川嶋さんの生活は、どんな影響がありましたか?

 

川嶋さん:母はもともと病弱ではあったんですけど。父が亡くなって落ち込んだのか。さらに入退院を繰り返すようになりました。

 

父は会社を経営していましたが、母が会社を受け継いだんです。でも、会社の経営もだんだんと悪化してしまって…、経済的にもかなり厳しくなっていったのは、子どもながらに感じました。

 

私が3歳で川嶋家に来たときは、1軒家の大きな家に住んでいたんです。しかし、父が亡くなった後は家を売り払い、いくつか住まいを転々としながら、最終的には小さなアパートで母と2人で暮らすことになりました。家もだんだん小さくなるし、母も弱っていくし…。