10年越しに気づいた「ロボットだった」自分

── その後はどうされたんですか。

 

大木さん:
知人の紹介で心療内科を受診することになったんです。でもまだその時点ではプライドがあったので、「私がクリニックなんて」と思いながら行きました。

 

先生から「今は何も考えずに休んだほうがいい」と言われた瞬間に、地球の重力を一手に引き受けたかと思うくらいの敗北感に襲われました。

 

なんでこれだけ頑張っても自分はダメなんだろう。女優としても、アイドルとしても、会社員としても頑張ったのに、最後歩けなくなるのか。休めるとか救われたとかはまったく思いませんでしたね。

 

会社を辞めた頃の大木さん。目の下のクマが取れず、日々泣いて過ごしていた

中学から女優を始めたけれど結果が残せず、20歳からアイドルになって。会社員になる前、ある芸能界の大御所から、「君はどんな人間かまったくわからない。感じがいいことに徹しすぎていてロボットみたい」と言われたことがあったんです。

 

「売れている俳優は多少、人間性に問題があっても、その人を応援したくなるような人間臭い魅力がある。あなたはその“いい人らしさ”を取っ払ったほうがいい」って。

 

私は女優として大人に好かれようと頑張ったし、アイドルでもずっとニコニコしていた。会社員になったら、社会人としてこうであれと押しつけられる社会的自我に苦しんで。振り返ってみても、その全部が違った気がしたんです。「どこにも本当の自分がいなかったな」と。

 

会社は1か月休んだらもう復帰できない状態になっていました。当時、思いを寄せていた男性から裏切られたこともあって、心身ともにズタズタになっていました。

 

お金もないし、会社は辞めてしまったし、パートナーもいない。本当に何もなくなってしまって、パジャマみたいな格好で過ごしていたら涙が止まらなくなっていました。

 

── 誰かと会う機会はありましたか。

 

大木さん:
その頃、高校時代の友達に会う機会があったのですが、自分は大丈夫だというテンションで「いや〜、疲れて会社休んじゃった!なんともないんだけどね」と言ったら「なんでそんなになるまで黙ってたの?もっと早く教えてくれたらよかったのに」と物凄い剣幕で真剣に怒られました。

 

そのとき、友達が怒ってくれたことで10年越しに「人って頼っていいんだ」っていうことを思い出しました。そこで初めて私は、“血の通った人間”になれた気がします。それまではまるでロボットのようで、正直、どうやって他人に甘えたらいいかもわからなかったんです。

 

「ちょっと甘えていいですか」っていうのも変じゃないですか。女優もアイドルも周りにはライバルだらけで、誰にも言わずにひとりで抱え込む癖ができてしまっていたのかもしれません。

 

困ったら頼っていいし、頼られてもいいということを知ったのが、すべてを失ったと思っていた29歳のとき。これからは何も恥ずかしがらず、みっともないことも含めて全部さらけだそうと思ったんです。

 

PROFILE 大木亜希子さん

2005年、ドラマ「野ブタ。をプロデュース」でデビュー。その後、SDN48として活動開始。卒業後、15年にWebメディア入社。18年、独立。著書に『アイドル、やめました。AKB48のセカンドキャリア』(宝島社)、『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社)、『シナプス』(講談社)。

取材・文/内橋明日香 写真提供/大木亜希子 写真撮影/松本慎一