「自分を外す」作業に徹した日々
── 会社員になって苦労したことはなんでしたか。
大木さん:
芸能界ではマネージャーがいて、スケジュール管理などもしてくれます。会社員になると、当たり前ですがすべて自分で管理をして、お得意様から来るちょっとした質問にも、ビジネスメールで、きちんとした言葉遣いで返事をしなくてはなりません。
でも、それができなかったんです。10代から働いてきたのに、私はこんなこともできないのかと落ち込みました。
Web向けの記事を書いていたのですが、芸能人が登場する新商品の発表会の取材をすることもありました。記者として取材現場に向かい、撮影もしていましたが、大きな望遠カメラを持っているカメラマンさんたちの間に挟まれて、もみくちゃになることも。
今まで一応、撮られる側にいたけれど、完全に裏方になってみて「もうあっち側にはいないんだ」と思うと、「これまで私が積み重ねてきた芸能界のキャリアに意味はあったのか」と葛藤することもありました。
── 仕事のスキルはどうやって身につけたのですか。
大木さん:
Webニュースの文体やノウハウがまったくなかったので、先輩記者のはねている記事を写経し始めました(笑)。文章の精度をどう上げていくか、悩んでいました。
── 記事の写経とは、予想外の答えでした!
大木さん:
エッセイじゃないから、自分のオリジナリティーや意思を入れてはいけないんだということに気づいて。心を無にしてひたすら写して、自分を外す作業をしていました。正直、屈辱でもあったけれど、正しい文章を書くには自分を捨てなくてはいけないと思って何年も続けていました。
── 自分を表現することを求められるアイドルとは真逆ですね。
大木さん:
本当にその通りで、アイドル時代は、自分の色をどう出していくかを言われ続けていましたし、オーディションで抜きん出るためにはかなり尖って自分というものを表現しなくてはなりませんでした。
ところが25歳からは一般社会のレールに沿って生きなくてはならなくなった。誰かに言われたわけではないのですが、無意識のうちに「普通にならなきゃ」と考えすぎていて、完全に自分らしさを失っていました。
仕事以外のことでもそうです。そろそろ結婚を考えて婚活もして、素敵な男性を捕まえたいとか、収入はどのくらいあったほうがいいとか。他力本願なことばかり考えていたと思います。
変わった経歴を持った私を受け入れてくれた当時の勤め先の会社には感謝していますが、あまりにも自分ひとりで抱え込みすぎて、ある日突然、駅のホームで歩けなくなったんです。
── 体からの悲鳴が。
大木さん:
本当は辛いのに「大丈夫なんですけど、ちょっと動けなくなっちゃって」と会社に電話で伝えたら、だいぶ私が疲れていたのをわかっていたようで職場の上司は「とりあえず休みましょう」と言ってくださいました。
会社員時代は、家賃4万6000円の浴槽なしアパートに住んで赤坂に通っていたのですが、キラキラOLを演じて見た目だけは綺麗にしていました。
でも、忙しさもあって食事も簡単に済ませてばかり。炭水化物や脂質に偏っていて顔はむくむし、アイドル時代より20キロも体重が増えてしまっていました。
全国出張もあって、仕事自体にはとてもやりがいがあったのですが、「こういう生活をしていちゃダメだよな」と思っていた矢先に、動けなくなってしまって。スイッチを急にオフにされたような感覚でした。