目が見えないなかでの育児「自分に合ったやり方でいい」

産後、まず苦労したのは授乳でした。抱っこしながらの授乳が難しく、数時間かかることも。

 

「病院では、“雑菌があるから、赤ちゃんにはできるだけ触らないように”と指導されました。でも、何をするにしても、触れないとわからないことだらけ。

 

だから、“私が産んだ子なんだから、触っても大丈夫”と気持ちを切り替えました。

 

授乳の際も、赤ちゃんの口の場所を手で確認してから、哺乳瓶を口に入れてあげると、グッとラクになりました」

 

夫の裕士さんは聴覚障がい者の五輪「デフリンピック」に4回出場。夫婦はアスリートとして競い合うライバルでもあるそう

首の座らない新生児のときは、お風呂係は夫や母親。その後は、裕士さんが1か月の育休を取得し、ふたりで育児をする毎日でした。

 

また、オムツ替えに苦労したときも。あるとき、仕事から帰宅した裕士さんが赤ちゃんのお尻を見て「どうしたの?真っ赤になってるよ!」と驚いたことがありました。

 

「私は赤ちゃんのウンチが残っていたらかわいそうでゴシゴシ拭いていたんですね。でも、見えないし、赤ちゃんも泣かなかったから、力の加減がわかりませんでした。

 

それ以来、とりあえず手で触って気になるものだけ拭けばいいとすることに。夫がいるときは、ウンチのオムツ替えはお願いしていました。

 

何事も最初は目の見える人と同じ方法を試してみますが、難しかったら私に合った方法に切り替えるようにしています」

 

東京パラリンピックでは5位入賞を果たした高田さん

そして、産後1か月から陸上競技にも復帰。練習や試合の際は、母親や保育士経験のある友人に赤ちゃんのめんどうをお願いしていました。

 

また、ハードル選手である裕士さんとは、練習日が重ならないよう調整する工夫も。

 

育児も陸上競技も前向きに取り組む高田さんは、「ふだんから、目が見えないことはあまり意識していません」と明るく笑います。

 

「つねにできることに取り組み、目標の達成に向けて集中しています。結婚、子育て、陸上と好きなことばかりできているので幸せですね。

 

大変なことも興味のあることも、なんでも言葉に出すようにしています。すると、それを耳にした人が“こういうサービスがあるよ”などと、いろいろ教えてくれるんです。

 

だから、何事もひとりで抱え込まず、相談することが大切だと思います。こうして好きなことに取り組めているのは、協力してくれる周囲の人たちのおかげです」

 

取材・文/齋田多恵 写真提供/高田千明さん、ほけんの窓口グループ株式会社