筆者が女優、木村多江さんに初めてお会いしたのは約20年前。当時、インタビューのなかで亡くなったお父様について伺ったことがあります。その後、改めて当時の心境やご家族について伺ってみたいと思います(全5回中の4回)。

ずっと自分を許せなかった

── 木村さんが19歳のとき、お父様がお亡くなりになったと聞きました。当時は、アルバイト生活だったとか。

 

木村さん:舞台の稽古代を稼ぐために、アルバイトを4つくらい掛け持ちしていましたね。

 

── かなり忙しそうですね。お父様との関係はいかがでしたか?

 

木村さん:高校生のころは、門限が夜9時だったり、ときどき厳しいと感じることもありましたが、特に不仲というわけでもなく。

 

パンツスーツと茶色のブーツをサラッと着こなす木村さん

ただ、高校を卒業して、舞台の専門学校を卒業すると、私の生活が180度変わったんです。

 

バイトとは言え、毎晩深夜に帰宅する。親に小言を言われても、まったく気に留めることもないまま、自分のペースで生活してしまって。今思えば、私の行動がガラッと変わって、父を心配させてしまった。すごくストレスを与えてしまったんじゃないかなって思います。

 

私が自分のことで忙しく過ごしているとき。父はある日、突然倒れて、その一週間後に亡くなったんです。

 

── 急な出来事だったのですね。

 

木村さん:しばらくは、私が心配させたから、父のストレスが溜まってしまったんじゃないか。私の行動が、父の死因のひとつにもなってるんじゃないかって、ずっと悔やんでました。

父は、私が幸せでいることを望んでいる

自分を責めていたと語る木村さん

── ご自身を責めていらっしゃったんですね。

 

木村さん:父が亡くなって10年くらい「父が亡くなったのは自分のせい」だって、ずっと自分を責めていました。それに「私が父の死の要因をつくったのに、自分ひとり幸せになるなんて許せない」とも思っていて。

 

だから、幸せを感じるようなことがあってみずから壊してきたし。私は不幸でいなきゃいけないんだって。そんな考えで過ごしてきました。

 

── そこから、どう気持ちが変化していったのでしょうか?

 

木村さん:時間が流れたこともあるし、ある日ふと思ったんです。「父は、私が不幸になるよりも、幸せになることを望んでいるんじゃないか」って。

 

それからは、もう少し自分を許してあげてもいいのかなって、思うようになりました。

 

長い間、ずっと自分の殻にこもっていましたが、実は周りのたくさんの人に支えられていました。いつも助けてもらっていたんだって改めて感じるようになっていきましたね。

 

その後は、自分の周りの人たちにも幸せになってほしい。もし良かったら、私のお芝居を見て、少しでも元気になったり、楽しんでもらえたらいいなって感じるようになりました。

 

── 木村さん自身の心境の変化があったのですね。

 

木村さん:そうです。それに、父が他界したことはショックでしたが、違う気づきもあって。

 

自分が経験した心の傷や痛みは、いつか役者として活かせるかもしれない。その結果、誰かを支えることに繋がったらいいなって、思うようになりましたね。