予想外の異動で広報へ

── その後、ウエディングから広報へ異動されます。異動の経緯を教えてください。

 

松下さん:
2001年、いきなりマーケティング部門への異動の内示が告げられました。「一生ウエディング担当として生きていくつもりだったのに、この私を異動させるなんてどういうこと!」としばらくはやさぐれましたね…。当時、マーケティングなんてやったことはありません。引き継ぎもなく、何から手をつけていいかわからない状態でした。

 

でも、3か月くらい経つと「あれ、これも天職かも?」と思うようになるんですよね。一生懸命やっていると、困ったことやわからないことがあっても誰かが助けてくれるんです。

 

── どんな“困ったこと”があったのでしょうか。

 

松下さん:
あるとき東京で回転扉の事故があり、回転扉を設置しているホテルに取材が殺到したことがありました。まだ取材対応に慣れていない私は「開業以来、事故はありません」と書いたメモをつくり、電話口で読み上げたんですが、翌日外出先で何げなく新聞を手に取ってみると「事故1件」と書かれていたんです。

 

もうどこに電話していいかもわからず、新聞に載っていたお客さまダイヤルに「こんなこと言っていません!」と泣きつきました。「言った」「言わない」の水掛け論になりましたが、なんとかその件は訂正記事を出すことで落ち着き、その後、別の会社の広報さんに記者さんとの上手なつき合い方を教わりました。

 

── 別の会社の方から教わることもあるんですね。

 

松下さん:
これも、「神戸」という大きすぎず、小さすぎない都市のサイズ感がいいのかもしれません。企業の規模に関係なく、みんなで助け合おうとする風土があるんです。しかも、そういった縁はたとえ仕事が変わっても切れません。