「痛快!明石家電視台」や「プレバト!」のアシスタントを務めた元MBSアナウンサーで、2020年にフリーに転向した豊崎由里絵さん。局アナ時代、ひとり目のお子さんの「保活」を機に保育士資格を取り、退職後には保育園でのパート勤務を始めました。将来の目標は「理想の保育園を経営すること」と話す豊崎さん。保育園探しの苦労や保育士資格を取った理由、豊崎さんが描く“理想の保育園”の青写真を伺いました(全4回中の4回)。

 

理想の保育園を作りたいと目を輝かせる豊崎さん

「会社の中に託児所をつくりたい」と社長に直談判

保育士のエプロンに身を包む豊崎さん。大阪府内の保育園でパート勤務の経験がある

── 今年1月に公式ブログで「保育士を始めました」との報告をされました。そもそも、保育士資格を取ろうと思ったのにはどんなきっかけがあったのでしょうか?

 

豊崎さん:
妊娠するよりも前に、「会社の中に託児所があれば子どもを連れてきて仕事ができるのにな」と思っていたんです。私って、先回りしていろいろなことを不安に思ってしまう性格なので、結婚も妊娠もしていないのに産後に不安を感じていて…(笑)。

 

キャリアと両立するためにも、会社の中に託児所があれば、子どもと一緒に出社して、仕事が終わったら連れて帰れるという夢のような生活が送れるのではないかと。「社内に託児所を作りたい!」という本気度を見せるために、まずは自分が保育士資格を取ってみようと思いました。

 

実際に保育士資格を取った後、当時の社長に直談判してみたのですが、あえなく玉砕してしまいました…(笑)。

 

── それでも資格を生かして、退職された後に保育園でのパート勤務を始めたそうですね。

 

豊崎さん:
もちろん芸能界で成功したいという思いもありますけれど、いつか自分の理想とする保育園をつくりたいという大きな夢があるんです。

 

まだその理想も固まっていない段階ですし、叶うのは50、60代でもいいと思っていますが、まずは現場を知っておくべきだろうと。会社を辞めて、アルバイトができる身なので「今しかない!」と挑戦することにしました。

 

仕事との兼ね合いもあるので週1でもいいから働ける場所を探していたら、本当に人手不足のようで「それでもいいからぜひ来てください」という保育園に巡り合えたんです。

 

ただ、コロナ禍で先生方が感染してしまうこともあり、週4で働いている時期もありました。今は東京に引っ越したので、保育士の仕事はいったんお休みしています。

 

── いずれ“理想の保育園”をつくりたいというのは、豊崎さん自身が復職する際に保育園探しで悩んだ経験があるからでしょうか?

 

豊崎さん:
めちゃくちゃ大変でした…。保育園探しというのは「早生まれは不利」だと言われているのですが、うちは長男が1月、次男は3月でふたりとも早生まれなんです。

 

近所の保育園はどこも定員が埋まっていて、そもそも選択肢がほとんどありませんでした。別に通っていた保育園にとても大きな不満があったわけではないんです。

 

ただ、私にとっては自転車置き場があるのかどうかがとても大事で…。というのも保育園が自宅から離れているのであれば、親が園まで自転車で送っていき、そのまま園に置いて会社に向かい、お迎えのときにそれに乗って帰ることができるんですよね。細かい点において理想とする保育園がなくて悩みました。

 

結局、ひとり目のときは自宅から電車に乗り、降りた駅から15分くらい歩いた先の保育園に通わせていました。その送り迎えを出社前と退勤後にするって、今振り返るととても現実的ではなくて大変でしたね…。

 

会社の近くにもっと頼れる、たとえば病児保育を併設しているような保育園があれば、局アナを続けていたかもしれないなとは思います。