前田敦子さんのものまねでブレイクし、プライベートでは2人のお子さんの母親であるお笑い芸人のキンタロー。さん。「売れてからがきつかった」と話すキンタロー。さんに、社交ダンス界での挫折を経て、30歳でデビューした芸能界での苦悩を伺いました。
社交ダンスでの挫折「パートナーの男性がいない」
── 大学卒業後、ダンス講師としてキャリアがスタートしたと伺っています。
キンタロー。さん:
大学のときに社交ダンス部に入っていたので、その流れでダンス講師になりました。進路相談もせずに勝手に決めてしまったので、親は泣いていましたけど(苦笑)。大学では英語を学んでいたので、「英語どこ行った?!」って。
── 社交ダンスでは、華々しい成績を収めました。
キンタロー。さん:
大学時代はいい成績を残せましたし、脚光を浴びて楽しかったんですが、卒業してから挫折を味わいました。プロに転向すると、まずはパートナーを探さなくてはなりません。
でも、あまりにも男性がいなくて。婚活のように、ダンスでもパートナー探しのためのお見合いというものもあるんです。何回もチャレンジしたけれど、やっぱり綺麗な人が重宝される世界で、私は不人気。自尊心も傷つきました。
心労がいろいろと重なった挙句に、頚椎椎間板ヘルニアになってしまって。これが致命傷で、私の得意技である首を後ろに傾けるアクションができなくなってしまった。トップを目指すにはこの技を入れたいのに…。
── 社交ダンスを続けられるかどうかの瀬戸際だったんですね。
キンタロー。さん:
自分の思うようなパートナーシップも組めないし、ケガもしてしまって、このまま社交ダンスを続けていいのかと悩みました。
そのときに、本当に小さい頃からなりたかったのはお笑い芸人だったことを思い出したんです。
小学生の頃から周りから面白いと言われていて、私にとっては「面白い」というのが最大の褒め言葉でした。将来は絶対、お笑い芸人になると思っていたことを、挫折を味わってようやく思い出しました。
そこまでの怪我をしなかったら社交ダンスの世界も諦めきれなかったと思います。