1年経たずにブレイクも…「もっと備えていれば」
── そこからお笑い芸人を目指したんですか。
キンタロー。さん:
東日本大震災のあった年に愛知から東京に上京して、松竹のスクールに入りました。同期は私よりも5〜6歳下の子たちだったんですけど、お笑いの勉強がようやくそこからスタートしました。
正直、お笑いに行くならもっと早く行けばよかったと思いました。同世代だとハリセンボンさんやオリエンタルラジオさんがもうテレビでも活躍していて。自分と同世代の人が輝いているのを見ては焦っていましたね。
── 芸人の下積み時代は苦労をしているイメージがあります。
キンタロー。さん:
生活はもちろん大変なこともありましたが、嬉しい悲鳴じゃないですけど、夢に向かって奮闘しているときはまったく苦じゃなくて、むしろありがたいと感じていました。ライバルもいて、一緒に切磋琢磨するのは楽しかった。
自分のネタ見せをして、他の人のネタも見るのですが、その時に「大変な思いをしたけれど、人生で今が一番、お笑いに近づいている」と思ったら幸せを感じたんです。
本当にしたいことをしているときは邪念がなく道が開けているような感覚で、清々しさが違いました。
── そこから一気にブレイクを果たしました。
キンタロー。さん:
とにかく早く結果を出したかったんです。焦りがあってがむしゃら。所属してから1年経たずにヒットできてよかったと思ったんですけど、そこからどうするかがまったく考えられていなくて。結果を出した後、どう発展させていくかでつまずいてしまいました。
どうしてもお笑い芸人は下積みを経て成功することが賞賛される風潮があります。当時は、右も左もわからないまま手探りでうまく立ち振る舞えなかったです。精神的にも辛い時期でネタに集中できないこともありました。
もっと備えていればよかったんですが、当時の私にはそこまでの想像も及ばなかった。ヒットしたら「めでたしめでたし」くらいに思っていたのが甘かったですね。芸歴が長くなってようやく気づけたことがたくさんあります。