「NSCは自分にとって共感性の高い場所だった」と語る椿鬼奴さん。大学卒業後、26歳のときにNSCに入学した鬼奴さんですが、学校は厳しいながらも、仲間にも恵まれたと語ります。なぜ、鬼奴さんがそう思えたのか、そこにはどんな背景があったのでしょうか。
「キャッシング粋は貯金額」と思っていた20代
── 当時のNSCはいかがでしたか?
椿鬼奴さん:学校自体は結構スパルタでした。竹刀を持っている先生がいたり、社員さんもかなり言動が厳しくって。でも、18歳の子に比べれば少し醒めた目でその様子を見ていましたね。何かあったら警察に駆けこめばいいや、と思っていたので。
── 冷静ですね(笑)
椿鬼奴さん:やっぱり職歴があるので。18歳の子が一生懸命やっているのを見て、これは鵜呑みにしていたら大変だろうな、と思っていました。
── 生徒さん同士の関係はどうでしたか?
椿鬼奴さん:すごく楽しかったんですよ。みんなお笑い好きだし、意外とパチンコやお酒が好きだったり。OLだったら、26歳で「結婚どうするの」とか、パチンコばっかりやってたらああだこうだ言われるところ、何も隠さずに話せました。
── ちなみに鬼奴さんはパチンコがお好きなイメージがあるんですが、いつからやられていたんですか?
椿鬼奴さん:25歳ぐらいのときです。当時、つき合っていた彼氏がスロットばっかりやっていて、デートの待ち合わせ場所がパチンコホールだったんです。
そんなにかける気はなかったんですけど、待ってる間に「羽根もの」というパチンコの種類から打ち始めて、最終的には彼の隣でスロットを打つようになっていました。彼よりものめり込んで打って、借金もかさんで。
── 借金の額も大きかったんですか?
椿鬼奴さん:
キャッシング程度なんで、そこまで額は大きくないですけど。でも、20代のときは、キャッシング枠が貯金額だと思っていましたね。
── なるほど…。では、話が戻りますが、生徒さん同士でもいろいろ話ができたようですね。
椿鬼奴さん:過ごしやすかったです。うちは私が20歳のころから両親が別居していたんですけど、他の生徒も私より若いのにシングルマザーの子とか、すごく貧しかったりだとか、共感性がすごく高かったというか。
大学のときは「気の毒に…」みたいな感じだったんですけど、私は母と弟と3人で暮らすようになってから楽しかったんですよね。自由な暮らしが20歳から始まったけど、他の人は「大変だね」って。
それが芸人同士だと、「そういうことあるよね」って前向きに話せる人がこんなにいるんだ、と思いました。大変な暮らしの人も多かったんですけど、それを明るくネタにしているのが合うな、と思っていました。