山梨県小菅村でイスラエル、パレスチナ、日本の学生が一緒に里山体験をする

夫の海外赴任で、1999年からイスラエルで駐在生活を送った田中恵子さん(仮名・56歳)。パレスチナとの紛争を抱える中、共存を目指す人が多くいることを現地で実感。そこで両地域の学生を日本に招き、ワークショップ活動をするように。駐在した自分だからできることを見つけた、経緯や現状を聞きました。

イスラエルとパレスチナの和平合意が寸前で…

田中さんは1999年からイスラエルで駐在生活を送りました。ちょうどイスラエルとパレスチナの間に和平合意が結ばれようとするタイミングでした。

 

「イスラエルに行くときは、世界の平和が訪れるかもしれないタイミングでワクワクしていました。ところがそれが不調に終わり、あっという間に情勢が悪化して…。

 

和平の期待が大きかった分、落胆は大きかったです。人も地域も、信頼関係を築くのはとても大変なこと。でもそれが、崩れるのは一瞬だと驚かされました」

 

自然豊かでのどかな雰囲気、個性的な人々と、イスラエルに魅了された田中さん。永住したいと思うほどでした。

 

しかし、紛争が起きると、暴力の応酬が続く事態に。しかも、パレスチナとの間に分離壁ができ、自由に行き来ができない事態になったそうです。

 

心を痛めた田中さんは日本人として、すこしでも力を尽くせないか考えるようになりました。

のどかな小菅村の自然のなかで学生たちは少しずつ打ち解けていった

「あるとき知人から、“普段は接点のないパレスチナとイスラエルの若者を日本に連れて行き、交流させたいと思っている人がいる”との話がありました。

 

というのも、日本はイスラエルともパレスチナとも歴史的な関係が薄いため、双方から敵視されず、受け入れてもらいやすい国だからです。

 

日本であれば、安全な環境で相互理解を深められるチャンスにもなり、イスラエル人とパレスチナ人の交流の場として最適でした」

 

さっそく現地のNGOに協力を依頼し、最初のイベントが行われました。その時に集まった日本のボランティアが、活動を継続したいと団体を立ち上げた時期に帰国となり、関わることに。

 

数年後、活動内容の再検討をしている時に、ボランティアの学生のひとりが“何ができるかはわからないけれど…”と紹介してくれたのが、山梨県小菅村です。

 

学生の祖母が住んでいたとのことでしたが、自然が豊かな環境で、昔ながらの里山のくらしも息づいています。

 

「とても素敵な場所で、ここを活動の拠点にしたいと思いました。さっそく役場に行き“イスラエル人とパレスチナ人の交流の場を設けたい。この村ではどんなことができますか?”と相談しました。

 

役所の人はとても協力的で、村では里山の暮らしを体験したり、自然と触れ合ったりすることができると教えてくれました」

 

試行錯誤のすえ、2007年からイスラエル、パレスチナ、日本の学生を対象にし、夏に2週間、山梨県小菅村で「里山のくらし」に触れてもらいながら、相互理解を深める活動が始まりました。

 

学生たちには里山散策やそば打ち、多摩川の源流の水のなかを歩きながら、川と森と下流の街のつながりを学ぶ「源流体験」、地域のお祭りへの参加などをしてもらいます。