「私、勘違いしていた」変装をやめて気づいたこと
── 縁もゆかりもない環境で、どうやって地元に馴染んだのでしょうか?
中澤さん:事務所の福岡出身のスタッフさんから「福岡の人は自分から入っていかないと、受け入れてもらえないよ」とアドバイスしてもらいました。どの地域に行ってもそうだと思うんですけど、「私、よそ者なんで」と自分で壁をつくってたら「別に入ってこなくていいですよ」ってなりますよね。
今、マネージャーさんが大阪にいるので、福岡では、現場にひとりで入るんです。東京だと、私がひとりで現場に入ることは1回もなかった。まずはそこから、自分からいろんな人の心をノックしました。
そういう気持ちで入っていかないと、孤独じゃないですか。当たり前ですが、できるだけ自分から挨拶して、メイクさんやスタッフさんとできるだけお話しして、というのは心がけていました。
あとは、当時娘が1歳半になってなかったので、オフのときは、できるだけベビーカーに乗せて近所を散歩していたんですよ。そこで「あれ?なんか見たことあるね~」と言っていただけたら「そうなんです、引っ越してきたんです!」みたいにコミュニケーションを取ることも心がけていました。
東京に住んでいたときは、本当にコソコソと生活してたんです。ずっと下向いて、地面しか見てなくて…。でも、そうじゃなくて、福岡に来たらちゃんと顔を上げて、前を向く。そうじゃないと、子どもに変に思われてしまうと思って。
── なるほど。
中澤さん:コロナ禍より前に、私が変装でマスクをしていると、子どもから「なんでお母さん、マスしてるの?」って聞かれたんです。
「そうだよな、子どもからしたら不思議だよな」と。でも、福岡に来て変装をやめたら、どんどん声をかけてもらえるようになって。ご近所づきあいを大事にしたんですね。
子どもたちが幼稚園や小学校に上がったら、同級生の保護者の方や先生もいるし、つき合いも広がります。私も保護者なので、もちろんみんなと同じようにつき合います。でも、そういうことを東京にいたらできていたのかと思うと、ちょっと自信ないです。
── 地方ならではの濃い人間関係があったからこそ、気づけたんですね。
中澤さん:そうですね。本来の人としての振る舞いというか、親としての振る舞いに気づけたんです。
たまたま私は芸能のお仕事をしているだけであって、他の人と違いはないのに、自意識過剰になっていたところがすごくあったな、と思って。そのことに気づいたとき、「私、勘違いしていたんだな」と恥ずかしくなって。私は中澤裕子だけど、子どももいるし、もう中澤裕子ではないな、と。
── 現役のモーニング娘。時代は、実際にスターだったと思います。
中澤さん:そう言っていただけるのは本当にありがたくて。子どもたちの同級生のお母さんたちも、私より年下の方が多いので「世代だった」「好きだった」って言ってくれるんです。それは本当にありがたいし、モーニング娘。をやってて良かったと思うし、モーニング娘。というグループは今も誇りに思って大事にしています。
でも、そうだったとしても、昔は自意識過剰だったと思うんです。そういうことに気づかせてくれたのは家族であり、子どもであり、近所の人たちであり、いろんな人たちのおかげ。そう思えたのは、福岡に来てからですね。
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PROFILE 中澤裕子さん
1998年にモーニング娘。としてデビューし、初代リーダーを務める。2001年にモーニング娘。を卒業。歌手活動のほか、ドラマや舞台で女優としても活躍。2014年に夫や子どもと共に福岡県に移住し、タレントとして活動。TNCテレビ西日本「ももち浜ストア」にレギュラー出演。
取材・文/市岡ひかり 写真提供/中澤裕子