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復興支援のサヴァ缶はなぜ成功したのか 仕掛け人に聞いた「尊敬と傾聴」#知り続ける

仕事

2022.03.11

サヴァ缶

「人間に上とか下とかないでしょ。ここでは大就さんの経歴なんて誰も気にしていないんじゃないかな」

 

これは、「東の食の会」専務理事の高橋大就さんについて語った地元漁師の言葉です。

 

東日本大震災から11年。道半ばとなってしまった復興支援事業も少なくないなか、なぜ彼は地元に受け入れられ、「Ca va?(サヴァ)缶」※以下サヴァ缶)をヒットさせることができたのでしょうか。

「こんなの売れるわけない」と言われて

絵の具のようなビビッドカラーのパッケージ缶に、スタイリッシュな「Ca va?」のロゴ。

 

初めて目にした人は、まさかこれが日本人にお馴染みの“鯖缶”だとは、思わないかもしれません。外国産の輸入食品かと思いきや、実は、岩手県産の鯖を使った、まぎれもない“メイド・イン・ジャパン”。東日本大震災の復興支援プロジェクトから生まれたブランドなんです。

 

2013年の発売以来、多くのファンを獲得し、販売数を伸ばし続けている「サヴァ缶」。

 

しかし、あまりに“攻めた”商品ゆえに、誕生までの道のりは平坦ではありませんでした。

 

「“こんなの売れるわけない”。まともに取り合ってもらえず、どこも門前払いでしたね」

 

そう当時を振り返るのが、高橋大就さんです。

 

震災で被害を受けた東日本の食の復興支援を目的に発足した一般社団法人「東の食の会」の専務理事で、「サヴァ缶」の仕掛け人でもあります。

 

それまで鯖缶といえば、“水煮や味噌煮などの和風の味つけで100円程度の商品”が定番でした。ところが、高橋さんが企画したのは、“洋風の味つけで360円”。

 

しかもあの斬新なデザインです。これまでの常識を大きく覆す商品の提案に、業者からは戸惑いと反発の声が相次ぎ、なかなか交渉へと進めない日々が続きました。

安さで競わない商品と仕組みを作る

しかし、高橋さんには信念がありました。

 

「消費者が満足できるものを提供すれば、必ず受け入れられるし、差別化して付加価値をつけることで、生産者側もそれに見合った利益を得られる。安さで競うのではなく、そうした仕組みを作っていくことが大事なんです」

 

熱意をもって伝え続け、少しずつ理解者を増やし、なんとか商品化。その後、販路を確保するのにも苦労しましたが、TV紹介や口コミで認知が広まり現在は確実な売上をあげています。

 

人気の秘訣は、オシャレな見た目だけではありません。そもそも味が抜群に美味しい。

 

高橋さんは、初めて地元の鯖缶を食べたときの衝撃が今も忘れられないと言います。

 

「あまりに美味しいので本当に驚きました。こんなに美味しいのに、なんでこんなに安いの?安すぎる!って。でもだからこそサヴァ缶の価格設定には自信がありました」

 

一度評判になると、定番の「オリーブオイル漬け」はもちろん、「レモンバジル味」や「パプリカチリソース」など、従来にない洋風の味にハマる人が続出。開封してパンやパスタに添えるだけで立派な一品になる手軽さ、しかも抜群の美味しさとあって、安定した人気商品となりました。

 

今では企業コラボの依頼も増えているといいます。まさに高橋さんの信念通り、価値に見合った収入を得られる仕組みができ上がったのです。

 

サヴァ缶パスタソースサヴァ缶とコラボしたエスビー食品のパスタソース

原動力は“リスペクト”と“危機感”

信念の原動力になったのは、生産者へのリスペクトと危機感でした。

 

「日本の漁業や農業の生産者が作るものは本当に素晴らしい。でもそれに見合った評価をされていないことに、もどかしさがあります。一次産業が疲弊していくことに危機感を抱いてきました」

 

実は、元外務官僚という経歴を持つ高橋さん。

 

担当した日米通商問題では、日本の農業が置かれた厳しい現実を目の当たりにしました。その後、転職した外資系コンサルティング会社のマッキンゼーでは、関心のあった農業プロジェクトに注力。一次産業の課題にまっすぐ向き合ってきた高橋さんだからこそ、熱のこもった言葉には、重みと説得力があります。

外交の仕事外務官僚時代の高橋さん(左)

取材中、何度も高橋さんが言葉の端々ににじませた生産者への強い尊敬の念。そうした姿勢が相手に伝わり、周りを巻き込む力になっているのかもしれません。

シャイで熱い地元漁師との交流

震災後、高橋さんが力を入れて取り組んできた、もうひとつの復興支援プロジェクトがあります。

 

それが、次世代の水産業を担うリーダーを養成する「三陸フィッシャーマンズ・キャンプ」。震災で打撃を受けた水産業を復興し、自立して継続的に発展していくことを目指して発足されました。

 

そこで出会ったのが、岩手県大船渡市の吉浜湾で漁師をしている千葉豪さんです。

 

高橋さんと、現在39歳になる千葉さんとは10年来の仲。高橋さんは千葉さんのことを、「普段はシャイだけど、実はすごく熱いヤツ」と評します。

フィッシャーマンズキャンプ出会った当時の高橋さん(前列左から2人目)と千葉さん(前列右から2人目)

「シンガポールと聞くと真っ先に“マーライオン”が思い浮かびますよね。

 

地域のブランティング戦略として、たくさんの人から選ばれる地域になるには、ビジュアルイメージがわくような“シンボル”をつくることが大事なんです。

 

三陸でもそれをつくんなきゃいけないよね、という話をしていたとき、チバゴウが、“じゃあ俺が三陸漁師のシンボルになる!”と言ってくれて(笑)。

 

すごく嬉しかったし、かっこいいヤツだなって。だって正直、それってすごく勇気がいると思うんですよね。地方は保守的なところがあるから、目立つとすぐ叩かれてしまう。

 

でもヤツは有言実行で、本来口下手なのに、お願いすると人前にもどんどん出てくれる。本気で地元の未来を憂い、どうにかしたいと思っているのが伝わってくるんです」

誇りを持ってここで生きていきたい

岩手県大船渡市で生まれ育った千葉さんは、震災の2年前に漁師になりました。高校を卒業すると同時に東京に上京し、芸人養成所に通いながら会社員として働いていたそう。

 

「とはいえ、別にお笑いがしたかったわけじゃないんですよ。もともと25歳になったら地元に戻ってなにか起業しようと決めていて。その原資を稼ぐには、どうやらお笑い芸人が儲かりそうだぞ、と。今思うと、浅はかですね(笑)」

 

口下手だという千葉さんですが、地元の話を振ると、とたんに饒舌になります。

 

「うちの地元の特産物には有名ブランドのアワビがあったり、水産業界の偉人がいたりと、誇れるものがたくさんあって、すごく魅力のある地域なんですよ!

 

でも、僕が子どもの頃からだんだん疲弊して、活力を失っていった。

 

それに対して危機感をもっている人がいなかったんです。それなら自分が新しい産業を生み出して、この地域を盛り上げたいと考えました。そうすれば、子どもたちだって地元のためにがんばろうという気持ちになるだろうし、誇りをもってここで生きていくことができるでしょ?」

漁師船上の千葉さん

常に心がけていた「傾聴」

震災後、たくさんの人たちが現地を訪れ、復興支援に携わりました。しかし、なかには強引なやり方で地元の反発を招いたり、地域のコミュニティに受け入れられず、道半ばで去っていくケースも少なくありませんでした。

 

そんななか、外から来た「よそもの」である高橋さんが、なぜ地元に受け入れられ、信頼を得ていったのか。

 

常に心がけていたのは、「傾聴」だったといいます。

 

「復興の主役はあくまで地元の人たちです。僕たちはそれを全力でサポートするだけ。だから、皆さんがどんなことを考えていて、どんな思いを抱いているのか、どういった未来を望んでいるのか。いろんなことをとことん聞かせてもらいながら、“あなたたちが主役なんだ”というメッセージを伝え続けました」

 

地元の人たちの声にひたすら耳を傾け、黒子に徹する。主体的に行動できるように、励ましながら支えていく ── そうした姿勢に徹し、時間をかけて関わることで、信頼関係を築いていきました。

 

千葉さんは、その印象をこう語ります。

 

「復興支援でいろんな人が来たけれど、正直、“自分たちが教えてあげる”という姿勢で接してくる人も多かったんですよね。

 

一生懸命やってくれるのはすごくありがたいんですけど、それだと心の距離はいつまでも縮まらない。

 

でも、大就さんは違ったんですよね。ビジネスの専門的なことはきちんと教えてくれるけれど、それ以外は誰に対しても対等で態度が変わらない。すごいエリートらしいけれど、偉ぶった素振りなんてまったく見せないですしね。

 

人間に上とか下とかないでしょ。よそではあるのかもしれないけど。

 

ここでは大就さんの経歴なんて誰も気にしていないんじゃないかな。そもそもマッキンゼーっていわれてもピンとこないけど(笑)」

漁師船上の千葉さん

大就さんが楽しんでくれるもんで

大自然と向き合って生きてきた漁師の千葉さんと、元外務官僚で大手コンサルタントファーム出身の高橋さん。戦ってきたフィールドもカルチャーもまったく違う2人が、心の距離を縮めたのは、地元のスナックでした。

 

「チバゴウだけでなく、地元のみなさんと打ち解けたのは、勉強会などの後の飲み会です。人と人が心を通わせるには、とにかく膝を突き合わせて一緒に過ごし、酒を飲むのがいちばん。ただ、チバゴウは、飲むとすぐ裸になるんですけどね(笑)」

 

と高橋さん。

 

ひとしきり飲んで、本音で語らい、千葉さんの歌う吉幾三の演歌と昔のアニソンで盛り上がるのが、いつもの流れです。

飲み会高橋さんと千葉さんの飲み会の一場面

千葉さんは

 

「大就さんが心から楽しんでくれるもんで、みんな嬉しくなっちゃって、どんどん一芸を披露しだすんですよ(笑)。

 

僕みたいに歌って脱ぐやつもいれば、即興ラップを始めるやつもいたり。そうしているうちに、いつの間にか他のお客さんとも仲良くなって、みんなで飲んで騒いで…。とにかく楽しい時間なんです」

 

と嬉しそうに話します。

残りの人生は“失われたコミュニティ”の再生に

震災から11年 ──。高橋さんは今、新たな挑戦を始めています。昨年、住み慣れた東京を離れ、福島県浪江町に生活の拠点をうつしました。

 

「産業の復活には、コミュニティの復活も大事。でも、震災でそのコミュニティが破壊され、いまだにほとんどの人が地元に戻れていません。

 

10年間、復興支援に携わってきたけれど、分断されたコミュニティを再生させるという難しい課題には、手をつけられていなかった。

 

これからの人生をどう生きるかを自問したときに、そこに目を背けたまま生きていくことはしたくないなと思ったんです。自分の責任として、地域により深く関わっていく道を選びました」

 

外からの「よそもの」を卒業し、浪江市民としての生活を満喫しているという高橋さん。

 

「今の幸福度はどれくらいですか?」

 

そう尋ねると、「抜群に高いし、毎日ワクワクしていますね」と、迷いのない答えが返ってきました。

浪江町に移住した高橋さん

「これからは“ローカルの時代”だと思っているんです。

 

上からのトップダウンではなく、地方から発信し、社会を変えていく。サステナブルな社会にとって大事なのは、やっぱり“人”。そうした本質を大事にするコミュニティを、この浪江の町から作っていきたいんです。

 

ここには、人と人の絆があります。仮に僕がこの先、大きな失敗をしてピンチに陥ったとしても、仲間がいるから大丈夫だと心から思えるんです。この安心感は、自分にとって何ものにもかえがたいものですね」

 

PROFILE 高橋大就さん

たかはしだいじゅ。一般社団法人東の食の会・専務理事。1999年に外務省へ入省。日米安全保障問題や日米通商問題を担当した後、2008年に外資系コンサルティング企業へ転職。2011年東日本大震災の直後から東北支援のNPOへ参画。同年5月、一般社団法人東の食の会の立ち上げに関わり、同会の事務局代表に就任。2021年4月より福島県・浪江町へ移住し、まちづくりに関わる。

PROFILE 千葉豪さん

ちばごう。大船渡市・吉浜漁協の漁師。岩手県大船渡市生まれ。漁師歴13年。子どもの頃から地元への誇りと郷土愛を持ち、「将来は地元を盛り上げたい」という思いを抱く。起業資金を作るため、高校卒業後に上京。25歳でUターンし、漁師を継ぐ。地元漁業に尽力する若手漁師のリーダー的存在。 震災後、高橋さんが主催する「三陸フィッシャーマンズ・キャンプ」に参加したのを機に交流を深めた。

取材・文/西尾英子 画像提供/東の食の会、千葉豪

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