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勉強ができすぎるほうが不幸!?「平等な教育」は本当に子どものためなのか

子育て

2022.01.28

中学生のトニーニョくんと3人で暮らす、漫画家の小栗左多里さんとジャーナリストの夫・トニーさん。

 

夫婦で子育てをしていくなかで「異文化で育った者同士はどうやったら折り合えるのか?」と試行錯誤した経験から感じたことや自分の幼少期の体験を、それぞれに語ります。

 

今回は「子どもの能力の伸ばし方」について。ベルリン時代にトニーニョくんを算数の教室に通わせた経験を振り返り、いま小栗さんが感じている、日本の学校教育への危機感とは?

勉強ができすぎる「浮きこぼれ」がどうして生まれてしまうのか

「浮きこぼれ」が話題になっている。

 

「落ちこぼれ」の逆で、勉強ができすぎて授業が苦痛であったり、浮いてしまう子のことだ。

 

ベルリンの小学校では、算数はクラスで2~3人、理解度の高い子が集められ、別の教室で授業を受けていた。息子は日本語補習校で日本の算数を習っており、現地校より進んでいることもあって、よくこのクラスに入っていた。外れた年もあったが。

算数が好きな息子の興味に応えられたベルリン時代

息子が小学校5年生のころ、普段通う学校のほかにも、深く勉強したい子が通える講座がある、とトニーが聞いてきた。これは行政がやっていて、大学へ進学する高校に当たる「ギムナジウム」の教室を借りて行われているらしい。

 

これに参加するためには、心理学者のところに行って知能指数を判定してもらい、その数値があるラインを超えないといけない。でもテストは子どもにストレスがかかるし、お金もかかる。息子は算数が好きだから通えたらいいなとは思っていたが、大掛かりなことはちょっと…ということで保留としていた。

 

しかし、息子の学校で採用しているアメリカのテストの一部分が、知能指数テストに充当するのではないか、その結果で交渉してみてはどうかというアドバイスを、またトニーがもらってきた。交渉と書いてトニーと読む…それくらい交渉が好きな男は、さっそく挑んだ。するとけっこうあっさりオーケーとのこと。

 

ベルリンではイレギュラーであっても、個別に対応してくれることがわりとある。それは基準が一つでないということになり、混乱のもとにもなるけど、このときはありがたかった。

「その子を伸ばす教育を受けられる環境」が当たり前にある幸せ

科目はいくつかあったが、息子は算数と3Dデザインを選んだ。3Dデザインは3Dプリンターを使って何かを作るクラス。なんと、私のために「メガネ置き兼耳栓入れ」を作ってプレゼントしてくれたのだった。ありがとう息子。

小栗さん連載イラスト

この講座に通ううちに「大学でやっている数学の講座もあるよ」と教えてもらい、そこにも通うようになった。複数の大学が共同で開いていて、これにはテストを受けて入った。

 

どちらも息子は楽しかったようだ。そして、どちらも無料だった。補助金が出ているのだ。

日本には「その子に合った学びの場」がとても少ない

一時帰国を含め、日本に帰ってきたときに、こうした学校外の講座に通わせたいと思って探したことがあった。プログラミングは実際にいくつか通わせたけれど、内容は小学校低学年向けが多く、どこもほぼ同じでしかも高い。理科や実験の講座も同じ。中学生になると受験に集中するせいか、ほとんどない。あっても民間企業だから高い。

 

「浮きこぼれ」になるほど勉強ができるのに、それゆえにその子に合った学校に行けず、独学するしかない子がいる。なんてもったいないことだろう。息子は普通の成績で、浮いてしまうほどできるわけではない。しかし数学やプログラミングに興味をもっていて、楽しく追求していける時期だった。多くの子にそういう時期があるのではないだろうか。それを逃さず、伸ばしてあげられる環境があったら、もっともっと可能性は広がっていくのにと思う。

「公平」や「平等」が本当に子どものためになる?

85歳の私の母は、意外にも中学で英語を習ったという。そのときは英語だけ、習熟度別に2クラスに分かれていたらしい。昔は公立でも習熟度別をやっていたのに、途中でなくなったということか。母は進んでいるほうに入っていたようだけど「”できる””できない”で分けるなんて、失礼な話よねえ」と怒っていた。

 

今もこういう感覚が主流かもしれない。いじめの原因にもなり得るとか、先生が足りないからとかで実行できないかもしれない。でも、学習そのものについて考えれば、「公平」や「平等」を追求することが本当に子どものためになるのか疑問だ。たまたま近所だったから席を並べているだけで、同じスピードで勉強するのは無理な子が出てくるのもわかる。

 

ベルリンでは小学校で留年することも珍しくない。理解せずに進んでしまうより、「そういうこともある」という意識でいるほうが、子どもにとって利益になるはずだ。1学年に2~3歳の幅があってもいいじゃないか。

 

ベルリンの教育にも問題はあるし、良いところをそのまま取り入れるのも簡単ではない。しかしなんとなく続いてきた「常識」を少しずつ変えていくことで、子どもたちが少しでも救われ、もっと能力を伸ばせたらと思わずにもいられない。

 

ネットが発展することでいろんな感覚が変わってきた。国が教育にお金をかけることが最も重要だけれど、技術が進むことでも、子どもにより良い選択肢が増えることを願う。

文・イラスト/小栗左多里

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